アイコン 「武富士京都土地の不可解な動きの黒幕は、元アーバンの橘田幸俊だった」

投稿者=彼も北鮮らしい。 

武富士幾度も貴誌にて問題視されている「呪われた土地」と恐れられる、武富士の京都3物件。 

武富士の子会社からスティーロに名義が変わって1年、曰く付きの3物件が、それぞれ3社に名義が変わった。 

またしてもダミーとしか思えない、訳の分からない会社だ。その金を出したのが、あの「楽天」と記事にしたが、表向き楽天かどうかはさておき、今般の黒幕が「橘田幸俊」である事が関係者の証言から明らかとなった。 

金は楽天を通して出したのかは分からないが、原資となった金は橘田幸俊の金であると想定される。 

橘田幸俊は、2008年に負債総額2558億円で倒産した「アーバンコーポレーション」の相談役であった。 

嘗ては、みずほ信託銀行のアキレス腱「京橋プロジェクト」と言われた、権利関係者が錯綜し、暴力団も占有していた物件を、今般の京都の件のように、複数のSPCを設立して地上げを遂行した。 

橘田は、関東の闇社会でフィクサーとして暗躍した佐藤茂(故人)から受け継いだ「麹町土地建物」(「愛時資」から社名変更、03年に負債2370億で破産した。)の社長を務めていた。 

橘田は、その後「アーバンコーポレーション」の相談役として、神田神保町はじめ地上げで名を轟かせた。 

橘田は、「佐藤茂」の若い衆であった。佐藤茂は、当事「港会(現、住吉会)の組員で、住友銀行が平和相互銀行を吸収合併した時の黒幕で、この功績から、住友銀行の「裏の後見人」になった。 

住友銀行の裏の後見人が佐藤茂ならば、表の後見人が、元検事総長の土肥孝治であった。「イトマン事件」で住友銀行の犯罪を隠蔽し、その功績から、土肥は後に住友銀行の常任監査役に就任する。その後、橘田の呼びかけからアーバンの取締役に就任する。 

橘田は、佐藤茂と土肥孝治の、「金力、権力、暴力」の後ろ楯によって、次々と難物件の地上げを成功させた。 

「地上げ屋稼業」でその名を轟かせた橘田幸俊が周辺に、「武富士の京都の物件に、金を出してやったよ。」と、語っていた事を、上記の関係者では無い、橘田に近い複数の人物からも聞けた。


武富士が存命中に何度も入札があったが落札業者が決まらず、民事再生申請後の、昨年7月に、「スティーロ」なる合同会社が売買により所得し、所有権か変わった。 

このスティーロは、設立3ヶ月で資本金はたったの10万円。明らかなダミー会社だ。このスティーロに、あのMKタクシーの創始者、青木が会長を務める「近畿産業信用組合」が72億円の値抵当を付けて融資している。 

だが、武富士の管財人であった小畑英一 弁護士からも、武富士からも正式な売却額が発表されないままだ。 

この3物件は、バブル時代に武富士が地上げに失敗。地上げに崇仁協議会や暴力団を使い、その利権を巡り、山口組と会津小鉄会が対立し、発泡事件なども発生。複数の死者、逮捕者も出て、20年以上もの間、塩漬け状態であった。 

スティーロに名義が変わってから1年、3物件が、それぞれ3社に所有権が変わった。 

数々のSPCに所有権を分けるのは、橘田の専売特許。巨額な地上げに絡み、巨額倒産に絡み、素人目に見ても、「多額の表沙汰に出来ない金を持っている」と推測される。 

元アーバンコーポレーションでの橘田の番頭だった西村は、六本木の高級料亭「瀬里奈」のオーナー(現在の権利者は分からないが)らしいが、それも橘田幸俊の金だろう。 

反社会的勢力とも深い繋がりを持ち、政治家、金融機関との繋がりも長年に亘り続いている、「闇社会のフィクサー」と呼ばれる橘田幸俊が「武富士の呪われた土地」を料理にかかってるが、「京橋プロジェクト」のように成就するとは思えない。 

今は、時代が大きく変わった。幾ら巨額な隠し財産があっても、これだけ睨まれた案件である。 

SPCを幾つも設立して、所有権を分けて、昔ながらの「金力、権力、暴力」の橘田の地上げのやり方で、20年以上も塩漬けの、未だにトラブルが続出している「呪われた土地、京都武富士物件」の呪いが解かれるとは思えない。 

表には出せない金が動いて、土地の名義が変わった事は明白で、間違いなくコンプライアンスに抵触し、これでは、「京都最後の一等地」を購入する企業は現れるはずが無い。 

「日本の京都」は、日本人が守らなければならない。日本の誇りであるからこそ。

[ 2012年12月23日 ]
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