アイコン さらば江崎べっ甲店(長崎市)

 

 
 

田上富久氏(五島市富江出身)が長崎市の市長になって13年、人口流出日本一ばかりか、長崎市から歴史的建造物がどんどん消えていった。
大きいものでは長崎市公会堂、県立図書館、富貴楼、南山手にある日本最古の木造洋館・十六番館(長崎県重要文化財)もそうだ。

さらば江崎べっ甲店、また長崎の街から長崎らしい建物であり、国の登録有形文化財が消えようとしている。

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宝永6年(1709年)創業、創業から300年の「江崎べっ甲店」(長崎市魚の町7-11)本店の土地建物(土地約646、52坪)が売りに出され、年の瀬の令和元年12月13日、入札が行われ芦塚不動産株式会社が18億円で落札している。

芦塚不動産は101戸の分譲マンション・レジデンシャルヒルズ眼鏡橋(仮称)を建設する計画である。

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江崎べっ甲店は初代 江崎清蔵が、宝永6年(1709年)長崎に江崎家を興してから約300年。

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世襲9代べっ甲業に従事し、べっ甲の歴史と共に歩み続けています。
長崎ではもちろん、日本で一番伝統あるべっ甲専門店の老舗です。

初代を江崎清蔵といい、代々 清蔵、清造、栄造の名を襲名しています。
5代栄造は、明治5年から皇室の御用品を謹製し、明治33年5月、宮内省御用達となり、同年9月、日本中から集めた特産品、美術品を持って日露貿易視察農商務省嘱託として渡露。

首都ぺテルスブグ(レニングラード)で最初の日本見本市を開きました。
明治31年建築 有形文化財
正店舗外観は,東が町家風,西が土蔵風で,軒廻り・窓廻り等の要所を洋風とし、内部は全体を洋風につくられている。
https://ezaki-bekko-ten.co.jp/about/

眼鏡橋周辺ではメモリードグループ(代表 吉田茂視)が長崎の歴史を感じさせる町屋風情の空間で長崎らしさを前面に打ち出した店舗などを展開しているが、田上長崎市の観光行政のチグハグさは如何ともし難い。

田上長崎市長の後ろ盾といわれる谷川弥一の谷川建設も入札に参加したようだが、芦塚不動産の勢いには及ばなかったということだろう。

[ 2020年1月22日 ]
 

 

 


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