東洋漁業は本社がある長崎市で24日会見を開き、島根・浜田市沖で巻き網漁船が沈没し、2人が死亡、3人の行方がわからなくなっている事故を受けて、船が沈没した原因について、「魚が取れ過ぎたため、船が傾いた」と述べた。
東洋漁業の金子岩久社長は「本当に申し訳ございませんでした」と謝罪した。
会社側は、第1源福丸が取れた魚を運搬船に移し変える際、網の中の魚の重さで転覆したと述べた。
金子社長は「網の中に入っている魚が、思った以上に多くて、突発的にその魚が沈んで、網の重さによって、本船が傾いた」と語った。
また、第1源福丸の母港、長崎・平戸市生月町では、乗組員の家族などが、沈痛な表情で、港近くの船員福祉会館に集まった。
会社側からの説明に対し、家族からは「漁の方法に問題があったのでは」と、怒りの声も上がったという。
以上、フジTVニュース参照

金子原二郎参議院議員の父親が経営していた金子漁業グループの東洋漁業。金子原二郎参議の父親は、元衆議院議員の故金子岩三氏で、農林水産大臣を務めた水産族議員だった。
金子岩三氏が興した金子漁業グループは長男の金子源吉氏(現テレビ長崎の会長)が継ぎ、次男の金子原二郎氏が議員の跡目を取った。そのため、船の名前に「源」の名前が付けられている。
記者会見した東洋漁業の金子岩久社長は、源吉氏の息子で金子原二郎議員の甥にあたる。
  金子家は、平戸市生月島出身である。

<第7蛭子丸沈没事件>
金子漁業は、平成5年2月21日深夜の第7蛭丸(80トン)の海難事故を発生させている。第7蛭丸は、五島沖の東シナ海で転覆・沈没したが、120メートルの海底に沈んだ船体には19名の遺体が眠ったまま放置されている。乗組員は20名いたが、網師1名だけが海上に投げ出されブイに掴まって浮いていたところを救助されていた。殆どが犠牲になった乗組員は殆どが生月島の人たちだった。
 乗組員家族の懸命な船舶の引き上げ要請を、金子漁業は、二次災害の危険性があるとしてガンとして受け付けなかった。引き上げることは可能な海底だった。19歳の若い命も眠っており、デビ婦人も引き上げに賛同して動き回っていた。そうしたことからか、当事、船舶にいろいろ工作がなされていたのではなどと噂されていた。
http://www.mlit.go.jp/jmat/monoshiri/judai/h1s/h1s_7ebisu.htm

<こんなことも>
金子原二郎参議院議員は県知事当事、諫早湾干拓事業で、干拓後の造成農地に入植した農業経営団体の中に金子県知事の親族が経営する企業が含まれていたため、批判を受けた(当該農業生産法人は金子知事の長女が取締役を務めていた他、代表取締役は当該干拓事業の主務官庁である農林水産省の大臣政務官を務める谷川弥一衆議院議員の長男であった。金子氏の娘と谷川氏の長男が結婚して作った生産法人、で、殆ど農業の実績もない法人だった)

<生月島では>
生月島では、2009年4月にも第11大栄丸が沈没し、12名が行方不明になった。懸命な引き上げの要請に水産庁が動き、その後100メートルの海底から引き上げられ、船とともに多くの遺体が引き上げられた。しかし、何名かは遺体がなかった。そのときには、大型クレーン船が沈没船を海上に浮かし、波静かな入り江に移動させ、捜索活動が行われた。
当事現地取材を行った。