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「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」のプルローグを思い出すままにつらつらとペンを走らせています。

環境タイムス1997年(平成9年)という年は長崎県の未来を暗示するような記憶と記録に残る忘れられない一年であった。この年の長崎県は「国営諫早湾干拓事業」による諫早湾奥に設けられた潮受け堤防、 いわゆる“ギロチン”の是非に揺れていた。日本中が“ギロチン”によって有明海と遮断された諫早干潟のムツゴロウや生き物達を救おうと「国営諫早湾干拓工 事」の即時中止と潮受け堤防の即時撤去を叫んでいた。

私はその頃、大村市諏訪町に事務所を構え不動産業の㈱グリーン環境というプランナーを自称する、世間から見たら地上げ屋みたいないかにも胡散臭そうな会社を営みながら、片手間で趣味も兼ねた「環境タイムス」という、これもまた怪しげ感むき出しの不定期(気分次第で発行)のタブロイド判機関紙を手作りで発行していた。

環境タイムスという名前が示す通り、一応は環境問題を主なテーマにしてい たが気分次第で政治問題、はたまた談合事件から産廃の不法投棄事件まで何でもありの強面新聞だった。およそ新聞とはいえない代物だったが配布の仕方からしてそうだった。たとえば私が行きつけのガソリンスタンドや喫茶店、食堂等の新聞や雑誌を置いてるボックスに新聞と一緒に10部~20部くらい頼んで置いてもらっていた。新聞とはほど遠いような瑣末というよりもお粗末なものだった。ただ終始一貫していたのは購読料は勿論、広告料と称するものも、誰からも一円の金も頂戴しないということだけが唯一自慢の新聞だった。そのかわり誰彼構わず書いたもんである。後の日刊セイケイのルーツといえるスタイルの新聞であった。まさに天下ご免の気まぐれ勝手新聞だった。

 

そんなわけで社長の私が主幹を名乗り、現在は京都政経調査会を主催し業界で活躍している佐藤輝氏が編集長という布陣といえば聞こえがいいが、二人しかいなかったというのが正直なところである。名前を売りたい一心の私たち環境タイムスは世論に迎合してムツゴロウを救えと叫び「国営 諫早湾干拓工事」反対の陣営にちゃっかりと便乗していた。当時、民主党の菅直人・鳩山由起夫民主党党首や様々な議員が諫早湾を訪れ、さらには国内外の環境 保護団体や科学者グループが排水門の開放と事業見直しを政府に要求していた時である。

恥ずかしながら鳩山由紀夫、菅直人と立場を同じくしたのは、後にも先にも2009年の政権交代とこの時の2回きりである。当時の諫早干拓工事反対運動は現在の沖縄県普天間基地辺野古移設反対運動にも似た様相を呈していた。その頃、長崎県では翌年2月の県知事選挙で西岡武夫氏を破り長崎県知事となる金子原二郎氏(当時・衆議院議員)が社長を務める魚介類卸会社・エンマキ商事(松浦市調川)から1400万円(横 領総額十数億円)を横領したとする業務上横領の疑いで、同社の元総務課長(現日本遠洋旋網漁協食品加工部課長)、入江寛容疑者(38歳)=北松吉井町が逮 捕されるという事件が発生していたが政治的力が機能したのか、長崎新聞をはじめ各種マスコミは沈黙した。長崎新聞が辛うじて入江課長の逮捕報道はしたものの、その後は見事なまでに沈黙を通し、この事件が世間に知られることはなかった。

被害額が十数億円と多額なわりにはマスコミの不自然な沈黙に編集長の佐藤氏が訝り、二人で松浦市にあるエンマキ商事に取材に行ったが、さすがに我が環境タイムスにはどこからも圧力も政治的力も声もかからなかったのが悔しかったし懐かしい思い出でもある。

環境タイムス