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山田ひろし年末(12月30日)から正月(1月3日)にかけて愛人と不倫旅行をするような破廉恥な県議会議員(山田博司・五島市選出)に名誉棄損(脅しが目的の訴訟)で訴えられて、不名誉な裁判を戦っています。

昨日、1月16日(月)午後2時30分から第4回の公判が行われました。

今回の裁判の争点となっているのが、原告(山田博司)が現役の暴力団幹部だった故浜村福雄氏との親密な関係があったか、なかったかである。

原告(山田博司)代理人は前回の法廷や第2回準備書面でも、故浜村福雄氏との関係を全面否認するばかりか、その属性や、名前すら不知と虚偽の主張をしている。

そんなもん、被告が証拠として提出した平成17年9月14日の長崎新聞の文芸欄の集合写真に浜村氏の表彰状と盾を手に写っている原告(山田博司)を見れば、一目瞭然である。

恥知らずな原告(山田博司)は、この写真さえ、似てるけど自分ではない、と、言い通す破廉恥ぶりを発揮している。

ところが、悪いことはできないもんで、原告(山田博司)を故浜村福雄氏から紹介されたという人物が現れた。

しかも、浜村氏の現役の時の名刺から浜村氏がA氏に宛てた暑中見舞い状、年賀状まで証拠として提出してくれ、原告と故浜村福雄氏との親密な関係まで上申書として認め、裁判所に提出してくれた。

証拠として提出して頂いた名刺だけを見ても故浜村福雄氏が現役の暴力団だったいうことは、これで立証できた。

原告(山田博司)が総務委員という立場を悪用して長崎県警に圧力でも掛けていたのか、故浜村福雄氏の属性について、長崎県警は個人情報を盾に故浜村福雄氏の属性について沈黙していた。

ところが、捨てる神あれば、拾う神ありとはよく言ったもんで、まさかのA氏からの贈り物となった。 

とりあえずA氏の上申書を読んでみてください。山田博司ってのが、とことん嘘吐きだってことが、これで証明された。

尚、個人名や団体名は個人情報のために伏字にさせて頂きました。


https://www.youtube.com/watch?v=VWT3sheZMMg



                                     平成28年(ワ)第183号 損害賠償請求事件

原告 山田 博司
被告 中山 洋二 外1名


                      上  申  書

                                        平成29年1月13日


長崎地方裁判所 民事部3係 御中

                                     852-8145
                                     長崎市○○町○丁目△△番○○号
                                              △○ビル2階
                                          ○○○○・○○○○
                                     代表 △△  ○ △ □ △
                    
                                     署名            ㊞


第1 まえがき
1、私は、平成7年7月に政治資金規正法第6条各項各号の規定に基づき長崎県選挙管理委員会に届出を行い、○○○○△△△を設立し、代表者に就任し現在に至っています。

2、私は、平成28年11月初旬に偶然に長崎県庁内で長崎市小曽根町の日刊セイケイ(JCネット)代表者中山洋二氏と出会った。私と中山洋二氏とは昭和の時代から30年以上の友好関係にあります。

彼が、「久しぶりだし、珈琲でも飲もう」、「実は、電話しようと思って居た」とのこと、何か相談があると思い、久しぶりでもあり、私の連れ1人と3人で近くの江戸町喫茶店「象の仔」に入った。時間は午後2時ごろであった。

3、私は、中山洋二氏が五島市選出の山田博司長崎県会議員と訴訟になっていることは彼から度々聞いて知っていた。
  中山洋二氏は、訴訟のことを彼独特の話しぶりで詳しく説明した。「実は、山田が浜村さんのことは知らない」、「浜村さんが暴力団幹部であったことを認めない」と話し、「自分が証拠を出さなければならない」ことなどを説明し協力を求められた。
  そこで、私は、故浜村福雄氏のこと、故浜村福雄氏と山田博司氏とのこと等差しさわりのない範囲で事実関係を率直に上申致します。
なお、私は、記憶する事実を率直に申し上げますので、裁判官及び山田博司氏代理人弁護士が偏見を持たずお読みください。また、私の上申書が訴訟の証拠となること、及び必要であれば証人尋問を受けることも承知いたします。

第2 私と故浜村福雄氏及び山田博司長崎県会議員との関係について

1、故浜村福雄氏は、山田博司氏と同じ五島市在住であり、私と30年以上の密接な交友関係にありました。

2、故浜村福雄氏は、生涯にわたり、九州の有力暴力団(現指定暴力団道仁会)の超上級幹部であった。
また、この事実は五島市のみならず長崎県内では多くの方々が認める事実です。勿論、山田博司氏も周知のことです。

3、確か、平成18年春ごろ、故浜村福雄氏から電話があり、「いつもの料理屋で会おう」とのこと。

4、長崎市岩川町割烹料理の店「かたばみ」で故浜村福雄氏と会った。しばらくお互いの情報交換に花が咲き酒もかなり進んできた。
彼は、「俺には、息子のように可愛がっている山田と言う男がいるんだよ」「眞ちゃんも、知っている山田よ」、「県議選に立候補するらしい」、「是非応援してやりたい」、「山田は、国会議員、山田正彦氏の秘書だった」等の話になりしばらく山田博司氏のことが話題になった。

故浜村福雄氏は、「山田は、俺の女房(内縁平野恵子女史)の連れ子と同級生ということもあり、息子のように可愛がっている」と得意げに説明したことを思い出す。

5、私も、友人の頼みでもあり、応援することになった。その後、私は、故浜村福雄氏と山田博司選挙事務所を訪れたが本人(山田博司氏)に会うことはできなかった。

6、その後、山田博司氏が県会議員選挙に当選した御礼として、長崎市岩川町割烹料理の店「かたばみ」に招待された。その時、山田博司氏も同席し最後まで酒席をともにした。

7、私は、故浜村福雄氏が山田博司氏の県議選応援を頼んできた理由は、日本天真塾は勿論、私の周辺者や関係者に五島出身者が多くいたからだと思った。

8、割烹料理の店「かたばみ」の経営者も故浜村福雄氏とは同郷の五島市三井楽町出身の江口氏である。

9、その後も、私は山田博司氏とは交際を続け、故浜村福雄氏と山田博司氏も同席して会食したのは、故浜村氏が亡くなる少し前の平成21年、長崎市銅座町割烹「こじま」が最後になった。

10、私は、平成21年の故浜村福雄氏の年賀状、暑中見舞い状及び名刺を証拠として、中山洋二氏に提供する。

11、私は、現在でも故浜村福雄氏を男として敬愛しており、今回の裁判で山田博司氏が故浜村福雄氏について、一切の交際を否定し、故浜村福雄氏が暴力団幹部であったことまで知らないと言っていることは、山田博司氏の恩義を無視する姿勢に怒りを覚え、かつ人間性に強い不快感をもった。

12、私は、この度の裁判の詳細は分からないが、山田博司氏は故浜村福雄氏にあれだけ世話になっておきながら、一言だけでも「浜村福雄はヤクザではあったが、素晴らしい男だった」と、言って欲しかったと思う。

13、山田博司氏が故浜村福雄氏との関係を全面的に否定したり、暴力団幹部であったことさえ知らないと言うことが残念であり、何故事実を認めないのか分からない。
  山田博司氏は、正直に故浜村福雄氏との関係を話すべきであり、その事が大変な世話になった故浜村福雄氏(仮に暴力団幹部であろうと)への礼儀であろうと思い上申書を認めます。
                                                   以上