奥茂治氏に韓国司法の判決が下りました。公用物損壊の罪での懲役6ヶ月執行猶予2年です。
覚悟を決めてる奥氏にしてみれば、想定内の判決でしょうが、この不条理な判決には、想定内とはいえ憤りを感じます。
奥氏に対する(農と島のありんくりん)さんの適切で秀逸な評価には今更ながら敬服するばかりです。
奥茂治さんには心からご苦労さまでしたと言ってあげたいです。
農と島のありんくりん
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奥茂治氏に韓国司法の判決が下る
奥茂治氏に韓国司法の判決が下りました。
奥氏は韓国において、吉田清治の長男の依頼を受けて、吉田が作った虚偽の「謝罪碑」の盤面を張り替えたことにより勾留され続けていました。
関連記事は山路氏の論考を中心にして、何本か掲載しております。
事実経過や、その是非についてはかなり突っ込んだ議論をしておりますのでお読みください。
「山路敬介氏寄稿 奥茂治氏 その人間と行動 その1・2・3」
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-7e73.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-d969.html
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-7331.html
山路敬介氏寄稿 「奥茂治氏の人間と行動」 皆様の意見もふくめ「感想戦」で
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-5340.html
奥茂治氏はテロリストではない
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-faaa.html
さて、韓国大田地裁天安(チョンナン)支部は、奥茂治氏に対して公用物損壊の罪を認めて、懲役6ヶ月執行猶予2年の判決を下しました。
奥氏は判決文を控訴する予定です。また刑事訴訟とは別に、奥氏側からの民事訴訟を起こすと述べられました。
判決後の奥茂治氏
この判決を報じる産経(1月11日)です。http://www.sankei.com/world/news/180111/wor1801110031-n1.html
「『法治国家で司法手続きに従うのは当然のこと。刑に不服はない。重要なのは吉田清治氏の嘘が判決文に盛り込まれているかだ』
奥茂治被告は11日の判決後、こう強調した。奥被告が謝罪碑の無断での書き換えに及び、出国禁止の長期化も覚悟して裁判に臨んだのは、慰安婦問題をめぐって日韓関係をこじらせた根本的な“嘘”を取り除きたいという思いからだった」
ではこの奥氏をが吉田の長男に依頼されて張り替えた韓国国立墓地内の「謝罪碑」とはいかなるものだったのでしょうか。
吉田が書いた碑文の文面です。
「あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制されて
強制労働の屈辱と苦難の中で 家族を想い 望郷の念も空しく
尊い命を奪われました
私は徴用と強制連行を実行発揮した日本人の一人として
人道に反したその行為と精神を潔く反省して
謹んで あなたに謝罪いたします
老齢の私は死後も あなたの霊の前に拝跪して
あなたの許しを請い続けます 合掌
1983年12月15日
元労務報國會徴用隊長 吉田清治」
吉田が広島県の「労務会の徴用隊長」だった事実はありませんし、そもそも朝鮮女性を狩り集める「徴用隊」があったという事実はありません。
肩書そのものが虚偽な上に、言っている内容はまったく史実とはかけ離れた創作でした。
これは晩年、吉田自身も「小説だった」と認めています。
ですからこの謝罪碑に書かれた、「徴用と強制連行を実行発揮した」ということはまったくの嘘偽りです。
吉田は全国各地で講演しただけではなく、韓国にわたり文字通り額を地面につけて土下座して行脚することを続けました。
この男はこれにより生活していた職業的詐話師でしたが、この嘘を朝日が30年間宣伝し続け世界に拡散しました。
かくしてこのひとりの職業的詐話師の嘘は、いまや動かすことができない史実と化しています。
その結果、日韓関係は修復不可能な打撃を受けました。
日韓合意はその収拾のために歩み寄って作られた条約でしたが、これもムン政権は廃棄したいようです。
この原因を作った吉田の長男は、このように意思表示されています。
「父が発信し続けた虚偽によって日韓両国民が不必要な対立をすることも、それが史実として世界に喧伝され続けることも、これ以上、私は耐えられません」(大高未貴 『父の謝罪碑を撤去します』)
そして長男はこのように決意しました。
「吉田家は私の代で終わりますが、日本の皆様、そしてその子孫は後に遺されます。いったい私は吉田家最後の人間としてどうやって罪を償えばいいのでしょうか。今日に至るまでそのことをずっと考え続け、せめてもの罪滅ぼしに決断したことがあります」
「慰安婦像は彫像の権利問題もあり、一民間人が撤去することは事実上、不可能です。
だが、父親が私費を投じて建てた謝罪碑であれば、遺族の権限で撤去することが可能なはずだと、長男は考えた」(前掲)
そして下の写真が、吉田の長男の依頼によって奥氏が現地に赴き張り替えた新盤面です。
新たな碑文は、事実のみが簡潔に記されています。
「慰霊碑 吉田雄兎 日本国 福岡」
雄兎とは、吉田清治の本名です。
奥氏の尽力により、ここに肩書、碑文すべてが虚偽に満ちた「謝罪碑」はあるべき姿に戻ったのでした。
あくまでも、この謝罪碑は吉田家の所有になるもので、その盤面の張り替えについて長男には自由裁量権があるはずです。
韓国が持っているのはあくまで講演の管理権であって、ひとつひとつの石碑についての文面について干渉することは出来ないはずです。
にもかかわらず、韓国は奥氏200日にも及ぶ出国禁止を受けました。
これについて奥氏はこう述べています。
「苦にはならなかった。慰安婦問題をめぐる嘘を正すという目的があったので」。奥被告は、出国禁止措置により約200日に及んだ韓国生活をこう振り返った。
「たとえ、実刑でも碑文の嘘が認定されれば、刑に服すつもりだった。その覚悟がなければ最初からやらない」とも語った」(産経前掲)
奥氏は一貫して、このように述べてきました。
「『国の施設が嘘の碑文を使い続ければ、国際的な恥になりますよ』ということ。韓国では、慰安婦問題が吉田氏の嘘の証言から始まっていることがほとんど知られていない」と説明した」(産経前掲)
なお韓国検察も、昨年12月の求刑において、「慰安婦問題を歪曲しようとし、韓日外交に摩擦を生じさせる行為」(産経前掲)として、吉田の証言について言及しているにもかかわらず、裁判所はその判断を避けたようです。
奥氏はこの判決によって帰国することが出来ましたが、氏のたったひとりの「歴史戦」はまだ終わっていません。