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『万葉集』巻五 梅花の歌三十二首并せて序より「「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉をひらき、蘭は珮後の香を薫す」」から、令和を引用。
平成は今上天皇の退位により2019年(平成31年)4月30日をもって終了し、皇太子の徳仁親王が即位する2019年5月1日から令和元年となる。

<梅の花>
原文:初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。

天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。
時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。
加之(しかのみにあらず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。
庭には、新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。
ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。
言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。
淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。
若し、翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述べむ。
詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異ならむ。
宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

現代語訳
天平二年正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。
時に、初春の好き月(令月)にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。
のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。
庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。
ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。
人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。
淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。
これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。
中国にも多くの落梅の詩がある。
いにしへと現在と何の違いがあろう。
よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。

以上、

湯葉・豆腐料理の「梅の花」の株が上がるかも・・・。
梅の菅原道真公は、「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠んでいる。安倍晴明のよりすごいのだ。

令和