アイコン 「敵は建築家にあり」のブログを追う⑫

 
今回は新年にあたり、建築の難しさを例え話でして見る。
私の従兄弟は、一国大出の一級建築士の免許を持ち、スーパーゼネコンの設計部に在籍していた。本社のデザイン設計室にいた。

まだ30歳代(当時)というのに数々のコンペ作品が入札で取り上げられ、今でも全国各地に彼らが残した記念碑の建物や施設がある。今後を期待された若手のホープとしてゼネコンの枠組みから離れても評価されていた。しかしその彼が自殺。原因は既存建築物から離れた発想の建物をデザインしていたからである。 
本社ではデザインコンペで落札しなければ仕事にならないことから、全組織が力を結集してコンペ作品の設計を行い建築に当たる。ところが、支店では一変する。彼は、地方の某大都市の施設コンペで、提案作品が落札したのを機に転勤になった。地方では現場が幅をきかせ、本社とは組織体も全く異なる。組織の違いに翻弄され、その後もコンペ作品を作り続けたものの、構造設計部門との葛藤から自殺するに至った。田舎の純粋培養のような人間であったたため、大組織に翻弄され、立ち向かう気も弱かった?といえばそれまでだろうが、それほど建築デザインと構造設計・建築設計は異なり、難しいものであると痛感させられた。それまで従兄弟は、「構造設計のことを考えてデザインしろ」といろいろ圧力をかけられていたという、しかし彼にとってはデザインが後退してしまう。現場も歩き一級建築士であった従兄弟でもそうした圧力のジレンマに陥ったのである。
(正月叔父と会い、ふと思い出した)

今回の「敵は建築家にあり」のブログを追いながら、一級建築士であっても、構造設計という専門分野の奥も深く、根幹を成す建築基準法も変わっていく、条例で左右されたりもする。そうした基本的な事項を熟知する必要があまりにも多く、ましてや2×4の建物は規則だらけで、専門業者に取っては簡単な建築図面であっても、専門外の設計・建築業者では細かな規定がありすぎ非常に難しいとされる。
こうした知識を殆ど有しない(建築士ではない)建築家が、作成した建物デザインならば、建築に当たっては、構造及び設計の段階から細心の注意が必要である。当ブログの建築問題のようにデザイン専門の建築家ならば、そのスタッフはそれぞれに熟知した者を配置する必要が当然ある。熟知したる者とは現場を知る免許を持った建築士である。そうしたスタッフを配置してこそ、デザイン及びそのコンセプトを完結させることができよう。大きな建物でも小さな建物でも基本は同じである。
今回の「敵は建築家にあり」のブログでは、建築の基本的な部分の問題や、入居来2年以上にわたって遅々と進まぬ補修工事などあまりに多くの住宅問題をさらけ出している。
問題が生じても、人が住む家であり、気持ちよく早く対処していれば、こうした施主側からの住宅瑕疵問題の訴えもなかったと思えてならない。但し、建築を熟知したスタッフ不足からか建築基準法違反部分は論外である。

[ 2010年1月 7日 ]
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