アイコン マスコミへの怒り!(松島完の怒り!)

fbな、みなさん、おはようございます。県議会議員でfb仲間の松島完さんが長崎新聞の記事に怒っています。私も怒っています。みなさんも怒ってください。怒らないと長崎は変わらんですよ。ペテン師みたいな前知事とかゴロツキな国会議員に好きなようにされてしまいますよ。http://www.facebook.com/

松島完一人の県議がマスコミというか長崎新聞社の記事に対してこれだけ怒ってるのを見たことがない。久しぶりに骨のある熱い政治家を見た思いがする。松島完 (南島原市区選出)改革を目指す連立会派の県議である。私のフェイス・ブック仲間でもある。松島完は真剣に怒ってます。私も本気で怒ってます。皆さん、もっと怒ってください。怒らんと長崎は何も変わりません。(長崎浪人・中山洋二)http://www.facebook.com/#!/profile.php?id=100003979733356

諫早湾干拓営農地に金子原二郎前知事の長女(富貴)、その婿(谷川建設の社長の谷川喜一)国会議員で当時、農水省政務官だった谷川弥一の長男でもある。その親族企業(株TGF)が不正に諫早湾干拓地に入植しても長崎県議会も長崎新聞も怒ることはありませんでした。昨年4月、連立会派が誕生し、通年議会、百条委員会、調査特別委員会、県議会は確実に改革、良い方向に変わっています。その現実に困惑している勢力が長崎新聞の女性記者を唆して書かせたのが昨日の不見識で県民を愚弄する記事です。それに対して松島完はふつうに怒っています。【平成23年7月14日(土);長崎新聞】22面の「県議会を振 り返って」通年議会変化は乏しくて!(小西愛純)の記事に怒ってます。私も読んで怒りがこみ上げてきました。明らかに連立会派に悪意を持って書いたと思われる記事である。 というか谷川・金子の両権力者(利権屋)とタッグを組んできた長崎新聞社の実力者O川氏が書かせたと思われる不見識で不愉快な記事だからです。しかも女記者に書かせる小賢しい手口が小憎い!
女好きの谷川某爺さんの匂いがプンプンする臭くて鼻持ちならないハレンチな記事である。

JC-NETは松島完を勝手に応援します。
弊社も瑣末なサイトながら一日の訪問者が4万人です。長崎新聞の販売者数13万人
には及びませんが、長崎を思う気持ちでは負けません。少なくとも1000分の1、以上の発信力はあると自負してます。

マスコミへの怒り!
2014年07月14日(土)
http://ameblo.jp/matsushimakan/entry-11302655313.html
 
http://ameblo.jp/matsushimakan/entry-11302000652.html#main(まさに死闘、議長選挙。)も読んでください。

松島完のブログから(マスコミへの怒り!)をそのままチョイス、掲載します。

 

今日は、ある新聞のある記事に怒りました。

書いている記者もわかるので、残念な気持ちになりました。

可能であれば、その新聞紙上で反論をしたいですが、その権利をもっていませんので、影響力で言ったら新聞と私のブログは雲泥の差で悲しいですが、このブログに書き残して置きたいと思います。

怒りを感じる言葉ですが、ある新聞の通年議会への否定的な記事。全国初で通年議会を導入し、導入したが、「変化がうすい」的なことがタイトルで書かれてあり、あれを見た県民の方は、誤解を起こします。くやしい。

さんざん記事の中には、通年議会の導入によって変わったことが書いてありました。通年議会を導入したことによって、審議時間が十分に確保されたこと、それ によって、質問が増え議論が増えたこと、県民の方の意見を聴く機会(参考人招致)が公式に増えたこと、県民の方の意見(陳情や請願)にちゃんと答えるシス テムに変えたこと、あげればたくさん出てくる議会改革があります。審査時間が枠組みとして十分確保できたのは、これは超画期的です。今までの追認機関(職 員の出す提案を丸のみしていた)、表層をなでるだけ、シャンシャンで終わらせる議会ではなくなったのです。これは、大きな大きな前進なのです。

そもそも何が起これば「通年議会の導入によって、プラスの変化が起こった」と記事で書くのでしょうか。これだけ画期的なことは他にないです、議会改革で。 断言できます。なのに、否定的な見出しだったので、がっくし。わかりました、期待しません、これからも否定的でしょう、だけど、もう少しわかってほしいと 痛切に思います。他に議会を劇的に変えるアイデアがありますか?あれば、納得しますが、ありますか?教えてください。ましてや、改革の万能薬というのは絶 対にない、何かの制度を導入すれば、議員の人格が変わるような劇的なことは何をしても絶対にない。何かを得れば何かを失うのは世の常です。

神様がやってくれるようなマジック的な改革はあり得ません。わずかでもマイナスがあれば、否定的に書くことに、がっくしです。はっきり言って、何をしても マイナスはあります。そこで、マイナスだけを見てれば何もできません。そして、そのマイナスへの視点誘導をマスコミがやってどうすると私は思います。あく まで、中立に書くべきです。見出しに、否定的なことを書くのは、本当にくやしい。

制度のほころびは、必ず、何をしてもあります。たとえば、今回、審査時間が増えて見えてきた課題は、「質」です。議員が発する質問の質です。そんなこと事 前に聞いとけよ的な質問が増えるの確かに無駄です。なので、無駄な質問ではなく、理事者との”議論”を増やさなきゃいけないのです。それを私は「質を高め ることが必要」と表現しています。

通年議会導入は、「変化に乏しい」、ではなく、「劇的な変化」のなのです。変化が起きてるから、課題が抽出されているのです。このことをしっかり、わかっ てほしいと切に切に思います。何度も言いますが、変化が起きているから課題が抽出され、やっと次のステージへ歩を進められているのです。

ただし、私も議会事務局や執行部に、頻繁に様子を聞き、業務量の激増(議会対策の時間が激増)を聞いています。これは、真実で、バランスをとるべきだとも 考えています。ただし、何度も言いますが、変化が起きているから、やっとバランスをとるべきという視点も出てきているのです。

通年議会の導入を否定されるのならば、代替案を教えてほしいし、代替案がないのであれば、前の議会にもどすということなので、ほんとにそれでいいのかと疑 問に思います。残念ですが、前の議会は、質問を理事者に書かせ、ましてや審議で一言も発言しない議員もおり、建前すぎるし、お遊戯会だと言われてもおかし くない状況でした。形式にとらわれずぎて、形式的過ぎたのです。それが、今、形式から本音へシフトしている過渡期なのです。お遊戯会から、本物の県議会へ 変わる過渡期なのです。

どれだけ審議時間を増やしても、議員の質が高まらないことはあるでしょう、なぜなら議員の質は結局個人の能力や考えに帰着する部分が大きいので。今でも、 理事者に質問を書かせている議員もいるでしょうし、委員長報告もべったり職員に書かせている面もあります。今後、どんなにがんばっても質が高まらない議員 もいるでしょう。それは究極的に選んだ県民の責任であり選択になります。ただ、それらの後ろ向きなことを少しでも前に進めているのです。議会全体として、 後ろ向きなことを前に進めているのです。

間違いなく、委員会審査のお経読みをなくして、事前勉強しだした議員は増えました。

間違いなく、通年議会で審議時間が増え、これは準備しとかなきゃと事前勉強しだした議員は増えました。これらは、県勢発展を担った政治家として、ごくごく 当たり前のことですが、今までが形骸化して形だけの議会に陥りすぎていたのです。それを打破しているのが、通年議会の導入です。それを否定的な見出しにさ れるのなら、県民の多くの方々が、導入しなくてよかったのにと思いかねません。くやしい。

今後、どんな政策を導入しても、こんな風に書かれるのなら、すべての政策導入への記事は否定的になるでしょう。なぜなら、メリット100%でデメリット0%の政策とはまずないからです。51対49だと思います現実は。

どんな思いで、知恵を絞り、どんな気持ちで、勉強し、どんな覚悟で、改革にのぞんでいるかを、簡単に否定し一掃する言葉を記事で読むと本当にくやしい。く やしい気持ちになります。マスコミってそんなもんだよと誰かに言われましたが、はっきりいってマスコミが持つ権力はバカでかく、世論形成の根幹を担ってい るわけです。現時代でマスコミが与える影響は大きすぎます。私のブログでの発信と比較して私のブログより1000倍は威力がありますマスコミは。そのこと を肝に銘じるべきです。今日の記事が明日の県民の意見になることを私は何度も見ています。今日の放送が明日の県民の考えになることを私は何度も見ていま す。

今日は、批判に弁明した形でブログを書きましたが、批判は常にありそれに対抗しようとするエネルギーでなく、そもそも自分の信念を貫くことにエネルギーを注入したほうがいいな、とも冷静に思いました。わかってもらおうと思うからくやしくなるし、エネルギーを消耗します。

補足ですが、他紙だったか、新聞記事でよく見る「県民目線の改革」とか「数の力」とか、ほんとに頭にきます。記者のあなたが書く「県民目線の改革」とはな んですかと問いたい。きれいな言葉を使っているけど、ほんとは中身がないわけです。それがくやしい。県民目線の改革とは何かをしっかりと定義し明記してほ しい。今我々がやっている改革は県民目線ではないと、このマスコミは言いたいのでしょうが、じゃあ県民目線とは何かを覚悟と信念に基づいて述べるべきなの です。抽象的できれいに聞こえる言葉を使うのを見るたびに悔しい気持ちになります。こんなに難しい言葉はありません。県民目線がどうかの判断なんて、主観 ですよ。それがくやしい。あたかも、マスコミが正しいような論調。

また、「数の力」とか、政局でそれは県民がのぞまないとか、もう一体何をこれまで何を見て生きてきたのかと問いたい。これまで、これからも政治は間違いな く「数」です。県議会は自民党一党支配の時代は、自民党内部で議長選の争いがおきていました。一応、ポストは順番になっていましたが、権力闘争は常に起き ていました。、それをさておき、今回の議長選を県民の不在の権力闘争的に扱うのが、くやしくて、くやしくて。たまたま今回のように争いが見えやすいと、否 定的にマスコミは報じるわけです、なんと薄っぺらいのかと怒りを覚えます。権力闘争がおきないことをのぞんでいるのか?多数派工作がおきないことがいいの か?ならば、自民党一党支配に戻して、オール与党化して、執行部の意見を丸のみするお遊戯議会に戻るしかないです。目の前のことを否定するのは簡単です。 その否定に芯がないのです。じゃあ、どうするかって。

さらに、私は一期目はたった3人の少数会派でした。我々の意見が通らないことがほとんどでした。しかし、一度たりともマスコミは、「数の力」で少数会派の 意見は封じられている書いたことはありません。自民党会派が数の力で押し切ってやっていると否定的に書いたことはありません。それなのに、今はこうして連 立会派がなんとか自民党一党支配に対抗して、ぎりぎり勝つと、数の暴力といわれる。薄氷の勝利をおさめると、否定的な記事を書く。理解に苦しみます。オー ル与党化し、大多数の議員が同じ意見を持つことを最高としているのでしょうか?これからは、価値観が多様化する時代です。意見もさまざま。議員の会派の意 見もさまざま。いろんな意見が出て、51%の意見が採用されることは多々あるでしょう。それを数の暴力という今のマスコミは、あなたの発言が暴力だと言わ ざるを得ません。現実はそんな甘くありません。

結局、イメージなんだと思います。数の暴力と懸命に主張しているのは。

結局、イメージ何だと思います。県民不在だと言っているのは。

それは、わからないでもないです。

醜い権力闘争が目立ちすぎていることは認めます。ただし、これをすべてのように思わないでほしいと痛切に思います。

できることなら、同じ新聞紙上で、議論を戦わせることができれば最高なのですが…

ずっと我慢してきたことを今日のブログで吐露しました。

マスコミの力を日本はもっと感じるべきです。

マスコミの怖さを国民はもっと感じるべきです。

マスコミの責任をもっと知るべきです。

[ 2012年7月15日 ]
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