アイコン なぜ日本に二大政党が根付かなかったのか

年も押し迫った2012年12月16日、自民党が294という議席数を獲得し約3年半ぶりに同党は政権政党に戻ることになった。

前回、自民党が劣勢であった2009年の政権交代前によく聞いた「二大政党」。
日本は小選挙区だから二大政党は無理だという専門家も多い。
しかし、実際の問題点は本当に選挙制度であろうか?
日本に二大政党が根付かないかは別のところにあるのではないだろうか。

 

片方の党(民主党)だけを持ち上げたマスコミ

まず、事後ではあるが二大政党のひとつである民主党が無能すぎたこと。
これはこの三年半をみればわかるだろうし、報道だけではなく、実績などで政治家を見ていた人たちは元々わかっていたことである。
アマチュアや労組系の運動家くずれが政治の中枢に居座ったのだからそれは混乱しないわけがない。

それではなぜ民主党のような政党が政権中枢につけたのか?

それは間違いなくマスコミのおかげである。

そしてそれが日本に「二大政党」なるものが根付かない原因だともいえよう。

まず、民主党の大部分は元社会党と元自民党議員、そして松下政経塾OBでできていた。
政権運営に関わった議員も少数で、逆に経済活動を否とする社会主義の残骸らが多数を占めていたことは輿石・菅・仙石氏の党内での影響力をみれば理解できよう。

そしてマスコミはそれらを検証することなく自民党の対立政党として持ち上げ続けた。
表向きは元自民・松下の表面がいいものだけを見せ実際は(票田をみればわかるように)労組系が支配する社会主義系の政党であったのに、である。
仮面を剥がせば、醜悪なゾンビ顔(輿石氏)が・・・あれが民主党の正体といっても過言ではなかろう。

しかし思い返せば、二大政党といいつつ政権についた途端、小沢氏を筆頭にいずれ自民党は無くなるとの発言が相次ぎ、またそういった報道がされまくり、民主党・マスコミともに二大政党になどさせる気がなかったのではないかという節もあるが・・。

それはさておき、消滅まではいかなくとも、それに近い危機感を感じた自民党は変わろうとしたが、マスコミは極力自民党のプラスになることは報道せず、逆の立場の民主党は思う存分ふんぞり返って報道されない自由を満喫していた。

 

アンチ自民では二大政党にはなりえない

2009年の政権交代前は、自民党が失政や個々の議員の不祥事をマスコミが報道するたびに民主党の支持率があがる、というシステムが出来上がっていた。
そして、その安易な支持率増加システムに民主党が乗っかり現実的な政権運営の力をつけることをしなかった。
そしてそれは、自民を批判するだけの、アンチ自民の党としての存在でしかないということでもある。

それが民主党の大きな間違いであった。

ところで、自民党が野党のときは、民主党を批判しすぎるとマスコミのチェックが入り、「政府(民主党)の足をひっぱるな」と自民党政権の時とは逆の報道がみられた。
下手をすれば支持率が下がる可能性があるため、自民党はなるべく政府と歩調を合わせ、マスコミ報道での批判を避けることが多かった。
民主党がこの自民党と同じ対応ならば二大政党も夢ではなかったろうが・・・。

・・・と、ゆうように、現在の中立な報道がなされない、局が支持政党を表明しない日本では無理であろう。
そして、そんな自民党アンチシステムに安易に乗っかる政党がある限り、日本においての二大政党は実現不可能ではないだろうか。

だいたい労組とか日教組とか経済そっちのけのとこが支持母体のところが、経済に強いわけないだろう、と思うのだが、なぜに民主党に任せれば経済が復活すると思えたのか甚だ不思議である。

[ 2012年12月17日 ]
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