アイコン 五島の歴史と文化を汚すな!

投稿者=魚の目・鷹の目

前回五島市議会副議長清川久義が紹介されていました。

「肥前国風土記」に記されている伝承によれば、景行天皇が志式島(しきしま。平戸)に行幸した際、五島列島は値嘉島(ちかのしま)と呼ばれ、海の中に島が あり、そこから煙が昇っているのを見て探らせてみると、小近島の方には大耳、大近島の方には垂耳という土蜘蛛が棲んでいるのがわかった。そこで両者を捕ら えて殺そうとしたとき、大耳達は地面に額を下げて平伏し、「これからは天皇へ御贄を造り奉ります」と海産物を差し出して許しを請うたという記事がある。

「土蜘蛛」とは、上古に天皇に恭順しなかった土豪たちであり、蜘蛛とは無関係であります。また、福江島の北西部に位置する柏崎は東シナ海を横断する遣唐 使船の最後の停泊地として有名でありました。このような歴史と文化もつ誇れる島であります。土豪には申し訳ありませんが、蜘蛛という動物の名前が出てきま したので引用させて頂くことにします。蜘蛛には人の命を奪う毒蜘蛛と痛みや痒みを伴う蜘蛛と無害の蜘蛛がいます。同氏は長崎の歓楽街で羽目を外して節度な い振る舞いを批判されていたこが記されていました。

谷川長崎の歓楽街で蜘蛛の巣をはり、機をみて女性を網にかけようと企んでいる市会議員がいます。まともな人はかかりません。かかるのは同種低脳者やアルコール で酔っ払い思考回路が故障した人等が、有ること無いことペラペラ羅列する言葉に迷わされているのでしょう。下品な振る舞いは恥ずかしくて見るに耐えませ ん。故に、お店の名称等の固有名詞を使うことは差し控えます。

小学生のころ、蜘蛛が張った糸(巣)に蝉がかかり身動きが取れないまま食されているのを見ました。何と残酷なことかと子ども心に傷が付き蜘蛛嫌いになりました。その後、蜘蛛は満腹になり満足しているところに、素早く百足が現れ食べられてしまいま した。そのとき蜘蛛は神の罰が当たったと思いました。私は成長するにつれ、蝉はどうして蜘蛛の巣にかかつたのだろうか?好んでかかったのだろうか?とも考 えたことがありましたが、間違えて、騙されて蜘蛛の巣にかかったとの結論を得ました。 公職のバッチを持ち企業のためと我がためだけの政治家が、夜の街で 蜘蛛の巣を張り、飲ませ食わせお金をちらつかせ蝉を求めていますが、馬鹿で間抜けな蝉はそういません。また、百足も沢山いることを忘れないようにしましょ う。

[ 2013年4月 7日 ]
モバイル
モバイル向けURL http://n-seikei.jp/mobile/
スポンサード リンク

コメント

関連記事

  • この記事を見た人は以下も見ています
  •  
  • 同じカテゴリーの記事です。
  •   


PICK UP

↑トップへ

サイト内検索