アイコン いつの間にか消え 残った借金 白い鯛焼き

ブームというのは一たんブームが去ったら恐ろしいものである。不況の中、白い鯛焼きが爆発的なブームを繰り広げ、全国で大ブームとなった。
白い鯛焼きを作ろうと小学生用の学習教材にまで出現した。しかし、今では、白い鯛焼きを作り続けているところを見たことがない。
ブームの仕掛け人の当初は、TVでお馴染みの人の実家である鳥越製粉(福岡県)。白い鯛焼きの開発は従業員が友人の結婚式に白い鯛焼きを提供しようと遊び半分で開発に勤しみ完成させたものであった。単なるプライベートな開発。
しかし、そこに目をつけた営業部門、お菓子屋さんにアタックを開始、しかし、既存の鯛焼き屋さんや回転饅頭屋さんは目をくれなかったそうだ。
そこに登場したのが、仕事が減り続け、役所の薦めもあり異業種展開しようとしていた大牟田市の建設会社であった。

鯛焼きの型などは以前から専門店で取り扱っており、製造方法を鳥越製粉主導の下に開発して販売したところ、評判が評判を呼び、瞬く間に白い鯛焼きが地域で周知されることになった。

同店にはFC希望が殺到し、賢い社長は指導料含むFC 料として500万円、それに材料の納入斡旋による利益も手中に収めた。
白い鯛焼き店舗が拡大する中、一番のブームの功労者は、村上龍のカンブリア宮殿であり、番組で 白い鯛焼きを取り上げたことから、さらに火がついた。
独自に開発した白い鯛焼き店舗が、FC店を募ったり、挙句は店舗も持たない言葉巧みな白い鯛焼きの出店コンサルまで出現して加盟料をむさぼり、瞬く間に全国へ広げた。

当初の白い鯛焼き屋は、FC店が500店舗超に達したという話もある。白い鯛焼きを販売するよりFC料で大儲かり、土木会社などやっちゃおれんと・・・。

また、製粉で鳥越製粉だけに儲けさせないとばかり、中堅大手製粉会社の昭和製粉も加担して、白い鯛焼きは全国巷に出現した。珍しいものに飛びつく日本人の習性により、全国へ広がった。 

白い鯛焼きもいつのまにか、ピンクの鯛焼きとか黄色の鯛焼き、中身も大豆餡から、クリーム餡などの新製品が続々登場したものの、ブームは翳りを見せ始めた。しかも、マスコミや雑誌もうんざりしたのか取り上げないようになった。
そうして、平成20年から21年にかけピークを迎え、ブームは珍しさもなくなり、急速に終焉を迎えることになった。
そして残ったのは、店舗出店者の店舗開設資金の数千万円の借金だけであった。

博多ラーメン人気もTVで取り上げられなくなったことから、博多でも新規出店店舗の殆どが潰れてしまった。残念なのは、努力して美味しいラーメンを提供していた新規ラーメン屋も潰れていったこと。

ブームは作られるもの、本当の鯛焼きは、やはり昔ながらの鯛焼きであり、以前からやっていて、白い鯛焼きに浮気しなかった店舗は、今でもちゃんと街角で営業を続けている。
話を聞くと、やはり、白い鯛焼きが流行った時は、売れ行きが大幅に減ったそうである。しかし、今では客足も戻ったと述べている。
こうした猛暑の夏でも、冬場の3割~4割減になるものの売れるそうである。その店では売上げを補うため夏場に限りソフトクリームも店先で販売している。店舗内ではお年寄りたちやおばちゃんたちに交じり女学生も冷房の効いた店舗内で椅子に座り熱い鯛焼きを食していた。

鳥越 グラフ

[ 2013年8月 8日 ]
モバイル
モバイル向けURL http://n-seikei.jp/mobile/
スポンサード リンク

コメント

関連記事

  • この記事を見た人は以下も見ています
  •  
  • 同じカテゴリーの記事です。
  •   


PICK UP

↑トップへ

サイト内検索