十六銀行 社長交代は村瀬現頭取のクーデターだった 堀江頭取の首取る
岐阜県を代表する十六銀行は15日、9月の頭取交代の際、取締役会で当時の堀江博海頭取(65)の解職動議が出され、全会一致で解任が決まっていたことを明らかにした。
十六銀によると、9月26日の取締役会では、当時専務だった村瀬幸雄頭取(56)から、議事予定にない頭取解職についての緊急動議を提出された。
これに対して、堀江氏は、取締役会の中で辞意を表明したが、村瀬幸雄氏は鉄槌を加えるべく、わざわざ決議を行い、全会一致で解任させたという。村瀬幸雄氏は、ほかの役員に対してなんと根回しが長けている人だろうか。
堀江前頭取は、岐阜新聞社を4日で辞任したが、新聞社への天下りの連絡が十六銀行から入ったのは、就任当日だったと述べていた。こんな、異常な天下りの仕方と異常な短期間での辞任は、前頭取と現十六銀行の経営陣との間で、何かわだかまりがあったとしか考えられなかった。
新頭取となった村瀬氏は当時、「堀江氏から『後進に道をゆずりたい』と申し出があった」と説明。最初に自らが解任を提案したことは明言しなかった。嘘ばかりついた村瀬新頭取である。
堀江氏の解任の背景には、十六銀が担ってきた岐阜県の指定金融機関が、大垣共立銀行(大垣市)へ交代することになったことや、拡大路線を重視する堀江氏の経営戦略に行内外から反発があったことなども影響しているとみられるという。
以上。
前回記載したように、堀江前頭取が、4日間で岐阜新聞社の社長を退任したのは、十六銀行の取締役を辞任するように、十六銀行側から迫られたものと思われる。
堀江前頭取は、時間がなく否応なく岐阜新聞社の社長に就任したものの、その就任の交換条件が、十六銀行の取締役辞任だったことから、「どこまでバカにするのか」と激怒して、4日間で新聞社の方を放り出したものと思われる。
通常、クーデターを起こす人は、自らはフィクサーとなり、頭取にはならない。村瀬幸雄専務自らが緊急動議を発して、頭取を首にし、自らが新頭取になるとは、なんと厚顔無恥なお方なのだろう。独裁政権が誕生しているのかもしれない。村瀬幸雄新頭取は人事部長を経験しており、当時、人事権では辣腕を振るったものと思われる。銀行での人事部長の職責は、超重要ポストで、取締役でさえ、頭が上がらない存在だとされる。
来年6月の株主総会は、相当荒れると思われる。
それでもまだ納得いかない。大垣共立に県庁の公金取り扱いを取られたとしても、下克上するような内容ではない。ましてや、頭取が辞任するというのに、それを拒絶して、決議するとは並大抵ではない。県庁の件は、当然堀江頭取にも原因があろうが、担当取締役の方が、もっと責任は重いだろう。また、拡大路線にしても、下克上する内容ではない。
ならば、理由は別にあろう。それは前回説明した数千万円の変な融資ではなく、その額が実際は億単位になっていたとしたら、決議もすることになろう。
まぁ、日銀監査・金融庁検査で明らかになったとしても公表はされず、本当のことは闇に葬り去られる可能性が高い。
こうした仮説が事実と異なるならば、村瀬幸雄新頭取は、金正恩並の人になる。しかし、事実であっても、それを公表しなければ、やはり金正恩並の評価の人になる。
来年の人事は、旧頭取派の人たちは左遷や子会社および取引企業へ大量に出向させられる可能性が高い。しかし、金正恩のように殺されたりはしないから、対象者は我慢するしかない。定年まで・・・。
山口銀行でも過去、クーデター事件があった。クーデターのフィクサーは当時の会長だった。原因のひとつには、生命保険会社のおばちゃんと(会長が支店長時代から)仲が良過ぎる関係を、自らが頭取に抜擢した新頭取から、銀行の保険関係商品販売において、突かれたことにもあった。くだらないことであるが・・・、えてしてそんなものである。
十六銀行取締役一覧 2013.6月現在
|
||||
代表取締役取締役頭取
|
堀江博海
|
昭和23年2月14日生
|
昭和45年4月
|
当行入行
|
平成6年11月
|
総合企画部長
|
|||
平成9年6月
|
取締役秘書役
|
|||
平成13年2月
|
常務取締役
|
|||
平成16年6月
|
専務取締役
|
|||
平成21年6月
|
取締役頭取(現職)
|
|||
代表取締役専務取締役
|
村瀬幸雄
|
昭和31年12月23日生
|
昭和54年4月
|
当行入行
|
平成10年4月
|
人事部長
|
|||
平成16年6月
|
常務取締役
|
|||
平成21年6月
|
専務取締役(現職)
|
|||
常務取締役
|
堀 聡郎
|
昭和30年7月12日生
|
昭和53年4月
|
当行入行
|
平成16年6月
|
人事部長
|
|||
平成17年6月
|
取締役人事部長
|
|||
平成18年1月
|
取締役経営管理部長
|
|||
平成18年6月
|
取締役本店営業部長
|
|||
平成21年6月
|
取締役事務部長
|
|||
平成22年6月
|
常務取締役(現職)
|
|||
常務取締役
|
三浦文彦
|
昭和34年3月25日生
|
昭和56年4月
|
当行入行
|
平成21年6月
|
営業統括部長
|
|||
平成22年6月
|
取締役営業統括部長
|
|||
平成25年1月
|
常務取締役(現職)
|
|||
常務取締役事務部長
|
池田直樹
|
昭和32年4月4日生
|
昭和55年4月
|
当行入行
|
平成17年4月
|
高山支店長
|
|||
平成20年6月
|
取締役名古屋支店長
|
|||
平成24年4月
|
取締役名古屋営業部長
|
|||
平成25年6月
|
常務取締役事務部長(現職)
|
|||
取締役豊田支店長
|
太田裕之
|
昭和35年4月3日生
|
昭和58年4月
|
当行入行
|
平成21年6月
|
法人営業部長
|
|||
平成22年6月
|
取締役秘書役
|
|||
平成25年6月
|
取締役豊田支店長(現職)
|
|||
取締役本店営業部長
|
武藤国策
|
昭和32年10月14日生
|
昭和55年4月
|
当行入行
|
平成22年10月
|
大垣支店長
|
|||
平成23年6月
|
取締役大垣支店長
|
|||
平成24年3月
|
取締役本店営業部長(現職)
|
|||
取締役人事部長
|
森 健二
|
昭和35年6月20日生
|
昭和58年4月
|
当行入行
|
平成22年6月
|
人事部長
|
|||
平成23年6月
|
取締役人事部長(現職)
|
|||
取締役営業統括部長
|
浅井武良
|
昭和33年5月3日生
|
昭和56年4月
|
当行入行
|
平成25年1月
|
執行役員営業統括部長
|
|||
平成25年6月
|
取締役営業統括部長(現職)
|
|||
取締役名古屋営業部長
|
廣瀬公雄
|
昭和34年2月15日生
|
昭和57年4月
|
当行入行
|
平成23年9月
|
執行役員コンプライアンス統括部長
|
|||
平成25年6月
|
取締役名古屋営業部長(現職)
|
|||
取締役岡崎支店長
|
山田 章
|
昭和30年5月6日生
|
昭和53年4月
|
株式会社岐阜銀行入行
|
平成21年6月
|
同 執行役員内部監査グループ長
|
|||
平成22年12月
|
同 取締役(融資担当)
|
|||
平成24年4月
|
同 取締役融資企画グループ長
|
|||
平成24年9月
|
当行執行役員審査部主任調査役
|
|||
平成25年6月
|
取締役岡崎支店長(現職)
|
モバイル向けURL http://n-seikei.jp/mobile/
コメント