アイコン ウクライナ/クリミアの美し過ぎる検事総長を指名手配 ポクロンスカヤ

ウクライナ内務省のサイトは、クリミアのナタリア・ポクロンスカヤ検事総長を指名手配したと発表した。
ウクライナ保安庁によると、ポクロンスカヤ検事総長は予備調査を避けて身を隠しているという。そのほか裁判所は、治安機関がポクロンスカヤ検事総長を拘束し、しかるべき機関へ連行しなければならないとの判決を下したという。

ロシアのチャイカ検事総長は、クリミア自治共和国とセヴァストポリ市の検察庁を設立し、ロシアの検察庁に編入するよう指示。そして、クリミアの検事総長に、ポクロンスカヤ女史(33歳)が任命された。

ポクロンスカヤ女史は、美し過ぎる検事総長として、今や世界に知れ渡っており、特に、日本ではポクロンスカヤ女史の動画がユーチューブに投稿され、「美しすぎる検事総長」として大きな話題を呼び、多くのアニメ風の似顔絵などが掲載されている。
本人は、「私はアニメ人形ではない。仕事を見て欲しい」としており、制服を着てニコリともしない応答の動画が、さらにファンを増やしているようだ。
ウクライナの有名な女性では、元首相のユーリヤ・ティモシェンコがいるが、見かけは金髪で美人だが、ガス利権を手中にし、膨大な財産を有し、贈収賄汚職何でもありの金満体質女性、西洋かぶれでえげつないが西欧の政治家には超人気。前政権では逮捕され、収監されていたが、今回のクーデターで釈放された。もうすでに若いときの美貌はない。
 ユーリヤ・ティモシェンコがポクロンスカヤの美貌と人気に嫉妬して指名手配させた可能性は否定できない。
 プーチンもポクロンスカヤ女史をクリミアの検事総長に抜擢するとは、さすがしたたかだ。

<クリミアの生い立ち>元々タタール人の半島
クリミアは元々タタール人(韃靼=だったん人、主に中央アジアのテュルク系民族)たちが住んでいた半島であった。しかし、第2次世界大戦末期の1944年、タタール族は、対独協力を恐れたソビエトのスターリン(首相、粛清の極悪人)によって強制的に中央アジアに移住させられ(クリミア・タタール人追放)、その後、クリミア半島はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の一部の「クリミア州」として統治されていた。
独ソ戦末期の(1945年2月4日~2月11日)には、第二次大戦の戦後処理を決定したクリミヤのヤルタでヤルタ会談が開催されている。
1955年、独ソ戦(大祖国防衛戦争)勝利10周年を機に、ウクライナと隣接するロシアのクルスク州出身のフルシチョフ首相が、ウクライナ融和策の一環としてクリミア州を、ソビエト連邦ウクライナ共和 
国に移管した。(クリミア州のロシアからウクライナへの移管)。
1991年8月19日ソ連の8月クーデターで、ゴルバチョフ大統領が軟禁され、8月24日にウクライナがクリミア半島も含め独立した。
1991年12月25日、ゴルバチョフ大統領が辞任してソビエト連邦共和国は完全に崩壊した。

ナタリア・ポクロンスカヤ検事総長
ウクライナが指名手配したナタリア・ポクロンスカヤ検事総長

[ 2014年3月27日 ]
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