アイコン 広島豪雨と土砂崩れによる悲劇・役所による人災 元住民の意見

広島市は中国地方の中心都市として人口が集積、一方、住宅地は平野部が少な く、市中心部から大田川上流域の安佐地区に新興住宅地が拡大し続けてきた。産業用地は、広島市の西側の廿日市あたりまでの沿岸部を埋め立て、事業用地を拡 大させてきたが、住宅地の開発は限られたものだった。

今回、崖崩れが多発した緑井地区は安佐南区にあり、直線距離で広島駅まで8キロ、JR可部線の駅があり、山陽自動車道の広島インターも所在する利便性に長けた地であった。しかし、平地は大田川沿いに限られ、山の裾野に住宅地が広がっている。こうした山間部の土質は花崗岩が風化した水を含みやすい砂状の土が山を覆っている。

そうしたところに、想定外の豪雨が午前1時から3時にかけ3時間に渡り集中して降り、
沢に雨水が集中して表層の土砂が崩れ、土石流を発生させ、今回の悲劇を招いた。
 
広島市の行政がバブル時代に、地盤・土質などまったく考慮せず、利権議員の要望に応え、開発許可を出し続けた結果、山裾の住宅団地が広がり続けてきた。
 過去にも同じような豪雨が発生し、多くの犠牲者が出たにもかかわらず、その反省は、開発優先政策によりまったく開発計画に生かされてこなかった。

 広島県は、ずば抜けて全国一多い3万数千件の土砂災害の危険地を選定している。特に安佐地区は新興住宅地として開発が進み、奥へ奥へ開発が続けられてきた。当然、広島市街地に近い、安佐南区は、山の裾野へ住宅地が広げられてきた。
 こうした危険地の開発は、行政が一番把握でき、またストップさせない限り、誰も止めようがない。しかし、広島市は、開発優先政策から、業者優先の開発が続けられてきたのだった。

 以前、広島市の己斐中の丘陵地帯に住み、市中心部の平野部の狭さに驚かされたが、安佐地区の開発は、当時の人口増に自然の流れでもあった。だが、安佐地区の土質や危険性などは行政の責任であり、また調査されており、その周知と危険な開発の規制は当然必要だったと思われる。そうしたことからも今回の大災害は、役人がよく使用する想定外の豪雨などではなく、行政による人災であると断言できよう。

 広島県では、1999年6月にも豪雨が降り、大規模土砂災害が起きた。広島市や呉市を中心に発生した土砂災害は計325ヶ所で崖崩れや土石流が発生、死者31人、行方不明1人という大きな被害が出た。今回の土石流現場と同じ広島市安佐南区と安佐北区でも6人が死亡した。行政に、その教訓が生かされなかった。
 
 また、10年後に同じような災害が発生する可能性がある。たが、地球温暖化で天候はこれまでの常識を超え悪化しており、全国で災害が多発している。そうしたことから、広島県や市は、即対策を講じなければ、同じような大災害がいつ発生しておかしくない状況となっている。
 また、広島市は地質・土木の専門家に十分チェックしてもらい、想定被害が大きい場所から対策工事もしくは移転工事を進める必要があろう。これまで、危険地と思われる地の開発を許可してきたツケが広島市に及んでいるまでだ。
 
今回の大災害で、お亡くなりなった方たちのご冥福をお祈りするとともに、行方不明者の早期発見を祈るばかりである。

[ 2014年8月21日 ]
モバイル
モバイル向けURL http://n-seikei.jp/mobile/
スポンサード リンク

コメント

関連記事

  • この記事を見た人は以下も見ています
  •  
  • 同じカテゴリーの記事です。
  •   


PICK UP

↑トップへ

サイト内検索