松島法相 なんと「うちわ」で辞任へ 情けない女性閣僚たち 小渕大臣に続き
松島法務大臣は、みずからの選挙区の祭りで『うちわ』を配ったとして野党から追及されている問題で、国会審議や法務行政に、これ以上、影響が出ることは避けたいなどとして閣僚を辞任する意向を固めた。
松 島法務大臣は、国会の予算委員会や法務委員会などで、野党から「自分の選挙区の祭りで『うちわ』を配ったのは公職選挙法で禁じられた寄付に当たる」と追及 され、これまでの答弁で、「地元の有権者の関心が高そうな法律の内容などを印刷し、討議資料として配付したもので寄付には当たらない」と説明していた。
これに対し、民主党の階猛副幹事長は、17日、公職選挙法違反の疑いで松島大臣の刑事責任を問うように求める告発状を東京地方検察庁に提出した。
こうしたなか、松島大臣は、告発状が受理されれば、法務大臣の立場にありながら、捜査の対象になることなどから、国会審議や法務行政に、これ以上、影響が出ることは避けたいなどとして閣僚を辞任する意向を固めた。
松島大臣は、20日にも辞任の意向を安倍総理大臣に伝えるものとみられる。すでに辞表を提出した小渕経済産業大臣と共に、松島大臣も、先月の内閣改造で、内閣の重要課題である「女性の活躍」の象徴として起用された閣僚であり、女性閣僚の相次ぐ辞任による政権へのダメージは避けられず、政府・与党内からは、今後の国会審議や政権運営への深刻な影響を懸念する声が出ている。
以上、
安倍首相が女性登用促進を謳い文句に5人の女性閣僚を誕生させ、女性閣僚たちは小渕大臣を除き、宙にも舞うように微笑んでいた。しかし、現実は、2閣僚が早期退場となり、残り3名も、安倍首相の足を引っ張る動きにより、隣国の2国からいつ槍玉に挙げられるか危ない状況に陥っている。ビ妙な時、安倍首相なみの配慮はすべきだろう。尻・大臣たちは国際社会の日本という位置付けをまったく理解していないようだ。
松島みどり議員の略歴
1956年7月生、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、法務大臣(第94代)。戸籍名は馬場 みどり。
経済産業副大臣(第2次安倍内閣)、国土交通副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、外務大臣政務官(第1次安倍内閣)、衆議院青少年問題に関する特別委員長等を務めた。
大阪府豊中市出身。小学生の頃は作家になることを夢見ていた。大阪府立北野高等学校、東京大学経済学部卒業。東大在学中は運動会応援部バトントワラーズに所属していた。大学卒業後、朝日新聞社に入社。経済部、政治部で記者を務めた。
1995年、自由民主党東京都連が実施した候補者公募に応募。合格し候補者に選出されたため、朝日新聞社を退社。1996年、第41回衆議院議員総選挙に東京14区から自民党公認で出馬したが、新進党前職の西川太一郎に僅差で敗れ、落選した。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では比例東京ブロック単独で出馬し、初当選。2003年の第43回衆議院議員総選挙では再選。
2006年、第1次安倍内閣で外務大臣政務官に任命され、翌2007年の第1次安倍改造内閣では国土交通副大臣に任命される。福田康夫内閣においても国土交通副大臣に再任。
2009年の第45回衆議院議員総選挙で落選。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、東京14区で日本未来の党に鞍替えした木村剛司、民主党の元参議院議員である犬塚直史らを大差で破り、3年ぶりに国政に復帰。選挙後、衆議院青少年問題に関する特別委員長に就任。
2013年9月、第2次安倍内閣において、同じ東京都選出の衆議院議員である菅原一秀に代わり、経済産業副大臣に就任。
2014年9月、第2次安倍改造内閣で法務大臣に任命され初入閣。
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