アイコン 中尾友昭市長 下関市立大の修士学位が欲しい  プロフィール

山口県下関市の中尾友昭市長(65)が、市立大大学院で修士の学位取得に向けた論文が不合格とされた理由をただすため、学長らに直接面会した行動が波紋を広げている。
市長は、市立大の設置者で、大学法人トップの理事長を任命する立場。市議会や大学の関係者からは「不当な圧力だ」「論外であり情けない」と批判の声が相次いでいるが、山口県の先達の人のように強権政治で、理事長の首も怪しくなってきた。

中尾友昭市長殿は、9日市役所であった定例記者会見の終了間際、中尾市長は、自身の「修士不合格」を一方的に切り出すと、判定への不満を約20分にわたり延々と強調。約550ページの論文を報道陣に示し「ユニークな論文で自信作だ」と胸を張ったが、担当する教授らからは評価に値せずの判定を受け、単なる自己満足のようだ。

550ページの論文を書けるほど下関市は暇なようであるが、もっと市制のことに専念する必要があろう。今では「フク」の市場しか知られなくなった下関市、その天然物トラフグのほとんどは福岡県の鐘崎漁港産、流通・物流形態が変われば、何もなくなってしまう危うさを持つ市である。

<中尾友昭市長のプロフィール>
1949年9月17日山口県下関市生まれ。
下関市立神田小学校、
下関市立向洋中学校、
下関市立下関商業高等学校、
中央大学法学部通信教育課程卒業
下関唐戸魚市場勤務、
1990年に下関唐戸魚市場取締役就任。
同年、東亜大学大学院修了。
1995年から1997年まで下関市立角倉小学校PTA会長
1997年から1998年まで下関法人会青年部会長。
1999年、下関市議会議員選挙に出馬し初当選。
2002年5月、税理士登録。
2003年、山口県議会議員選挙に下関市選挙区から出馬し当選。
在職中は「新政クラブ」に所属。
2005年、山口県議会議員を1期目の任期途中で辞職。
下関市長選挙に無所属で出馬したが、現職の江島潔下関市長に僅差で敗れる。
落選後、中尾友昭税理士事務所を開設。
2009年、再び下関市長選挙に林芳正参議院議員(山口県選挙区選出)らの支援を受けて立候補。安倍晋三元首相らが推した元山口県議会議員の友田有らを破り、当選(江島潔下関市長は不出馬)。
2013年、下関市長再選。
2011年より下関市立大学大学院経済学研究科に入学、
2015年に修士論文の代わりとなる「特定の課題についての研究の成果」として「下関市における地域内分権への挑戦」と題する自分史や自身の人生哲学などを盛り込んだ文章を提出。 
しかし、審査の結果、不合格となり、単位取得退学となる事が決まった。つまり、博士の学位がもらえなかった。再チャレンジの道はある。
中尾は「納得がいかない」と大学を批判し、情報公開請求を行なうと表明した。

 

[ 2015年3月16日 ]
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