アイコン 破産した老舗和菓子店「駿河屋」復活 伝統の味継承

 

駿河屋破産した紀州徳川家ゆかりの老舗和菓子店「駿河屋」の旧本店で、3月24日から「総本家駿河屋」として和菓子の販売が復活する。
和歌山市の和菓子メーカー「駿河屋」は室町時代の創業で550年以上の歴史があり、練り羊羹の製法を確立した老舗としても知られていたが、業績が低迷して昨年6月破産した。

その後、駿河屋の工場などを競売で落札した有田市の三和インセクティサイドなどグループ会社のオーナーが、株式会社「総本家駿河屋」(代表取締役:岡本良太氏)を新たに設立し、和歌山市駿河町にある「駿河屋」の旧・本店で24日から和菓子の販売を始めることになった。
「総本家駿河屋」では、駿河屋で働いていた菓子職人7人を含む16人を雇用、「羊羹」や「饅頭」の製造・販売を行い、駿河屋の味や伝統を継承していく。
和歌山県商工観光労働部長は、伝統のある駿河屋が消滅してしまうと心配だったが、新たな経営陣が駿河屋を継承し、再スタートしたことは和歌山県にとって大変喜ばしいと述べている。
新会社の岡本良太社長は「数百年の味と思いを引き継ぎ、和歌山の人たちから愛される和菓子屋となるよう努力していきたい」と述べた。

頑張れ「総本家駿河屋」!
「駿河屋」の歴史ほか
1461年、室町年間中期に初代岡本善右衛門が京都伏見に「鶴屋」の屋号で創業。
1619年、5代目善右衛門が紀州藩の藩祖・徳川頼宣に従って紀州和歌山へ移る。
1685年、徳川綱吉息女鶴姫の紀州徳川家降嫁により、同名を憚って、屋号「鶴屋」を返上。
1689年、鶴字法度に伴い、返上した屋号「鶴屋」に代わり、徳川家所縁の駿河国にあやかって、徳川家から屋号「駿河屋」を賜る。
1944年3月、株式会社駿河屋として設立。
1961年、 東証、大証に株式上場。
2004年11月、架空増資で代表や投資会社飯倉ホールディングスの代表ら5人逮捕
2005年、東証2部、大証2部の上場廃止。
2014年1月、負債額約9億円を抱え、和歌山地方裁判所へ民事再生法の適用申請。
2014年5月、依存心しかない経営者だったためスポンサーと支援内容が折り合わず、事業停止
民事再生廃止。
2016年6月25日、破産開始決定を受けた。
2014年7月3日、不動産や機械などを一括して競売に付され、有田市の医薬部外品製造販売会社の三和インセクティサイド会長の田中源一郎氏が約3.17億円で落札していた。

 

三和インセクティサイド株式会社概要
本店地
和歌山県有田市新堂267
代 表
(会長)田中源一郎
創 業
昭和44年4月
資本金
1,000万円
事業内容
殺虫剤、衛生材料及び一般家庭用品の製造販売
 
医薬部外品〔殺虫剤(蚊取線香等)、入浴剤、化粧品等〕:日用雑品〔パラ防虫剤、ピレ防虫剤、洗浄剤等〕
売上高
20 億円
総従業員
60 人、内パート・アルバイト等18 人
平均年齢
43
グループ会社
㈱リベロ、㈱三和、三和セルロシン㈱、ライオンケミカル㈱、ユーアイかとり㈱
主要取引先
アース製薬㈱、稲畑産業㈱、クラレリビング㈱、㈱クレハ、フマキラー㈱ 他
 
グループ会社のライオンケミカルも老舗で明治18年創業。同社もまたライオンかとりの商号で上場を経験、紆余曲折した歴史を持つ企業だが、取引先であったことから買い取った田中源一郎会長は、こうした歴史の重みがわかる人のようだ。
[ 2015年3月17日 ]
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