アイコン 日航機123便御巣鷹山墜落機 30年ぶりに相模湾海底160mで機体一部発見

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日航機乗客乗員520人が犠牲となった日本航空機の墜落事故(1985年8月12日、羽田発大阪行JAL123便)から12日で30年。
墜落した123便は羽田空港を離陸した後、相模湾の上空で圧力隔壁が壊れた。垂直尾翼など吹き飛んだ機体の多くは海に沈み、今も見つかっていない。
ANNは情報公開請求で得た資料などから、残骸が沈んでいるとされる相模湾の海底を調査し、123便の部品の可能性がある物体を発見した。

7月29日、静岡県東伊豆町の沖合約2.5km、123便の推定飛行ルートの真下にあたる水深160mの海底で撮影された映像。

右側のパネル状の部分は四角形に見え、側面にある黒い部分には数字などが書かれている。カメラとの距離などから調査にあたった専門家は、1.5mから2mほどの大きさではないかとしている。
当時、事故調査委員会のメンバーとして墜落の原因を調べた斉藤孝一さんは「この映像だけでは分からない」としたうえで、123便の残骸である可能性を指摘した。
 当時の事故調査官・斉藤孝一さん:「仮に航空機の部品だとすると、『APU』のまわりに取り付いている『コントロールボックス』といわれてるようなもの」
 APUは、機体後部にある補助エンジンで、客室に空気を送ったり電気を付けたりする役割がある。
斉藤さんは、圧力隔壁の破壊という事故原因は変わらないとしたうえで、残骸が見つかれば事故の状況がより詳細に分かる可能性があるとしている。
123便を巡っては、相模湾上空でのトラブルの際に機体から落ちた垂直尾翼の大半やAPUを含む機体後部の部品が見つからないまま、事故から1年10カ月後に調査が終了している。
国の運輸安全委員会はこの映像を見たうえで、「当委員会としてのコメントは差し控えさせて頂きます」としている。
以上、ANN

事故機は群馬県側の山岳地帯である御巣鷹山に墜落しており、圧力隔壁や垂直尾翼の破壊捜索には膨大な費用が必要で、当時日の丸日航であったことから、捜索を打ち切ったものと見られる。今では考えられない話だろう。原因は屈強であるはずの圧力隔壁が、「疲労亀裂の進展で残留強度が著しく低下したため」としている。ボーイング社の犠牲になった。

 

[ 2015年8月12日 ]
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