アイコン サンケイと韓国大統領府がバトル 米中二股外交批判記事

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産経新聞は31日「米中二股 韓国が断ち切れぬ『民族の悪い遺産』」と題するコラ ムで「韓国外交が事大主義のDNAを発揮している。歴史的に韓国が事大(小国が大国に付き従う)の相手を変えるたび、わが国(日本)は存亡の危機に瀕して きた。日本が(朝鮮に)独立を促すと、清にすり寄って日清戦争の火種を造り、日本が勝つとロシアにすがって、日露戦争の誘因の一つを造った」、また「朝鮮 には朴大統領のような女性の権力者がいた。閔妃(ミンぴ、最後の王の高宗の妻)の勢力はロシア軍の支援で権力を奪還したが、3カ月後に閔妃は暗殺された」 と掲載した。

<韓国政府無視の姿勢>
韓国政府当局者は31日、聯合ニュースに対し「歴 史歪曲と歴史修正主義のDNAを持ち、過去の歴史に対して厚顔無恥な主張を日常的に行う日本国内の特定の人物と、これと関係する報道機関の根拠の無い記事 に対し、政府レベルで論評する価値はまったく感じることができない」と批判し、無視する立場を強調した。

<韓国の与野党反発>
 与党セヌリ党の金栄宇首席スポークスマンは31日「産経新聞の妄言は日本の極右主義の恥ずかしい自画像だ。ただあきれるばかりだ」と述べた。
野党・新政治民主連合のキム・ヨンロク首席スポークスマンも同日「朴大統領が中国の戦勝節(記念閲兵式)に出席することを『事大主義』として問題視するのはむしろ、日本の米国に対する事大主義を浮き彫りにするものだ」と主張した。

<世論に押され韓国政府サンケイに削除要請>
 韓国政府が1日、産経新聞側に記事の削除を要求した。
 在日韓国大使館関係者が同日、産経新聞側に抗議の意を伝え、記事の削除を要求した。

<サンケイ削除要請拒否>
産経側は問題が生じたことについて「残念だ」とした上で、「表現の自由」などを理由に記事削除の要請を拒否した。(北朝鮮が韓国に対して、いつも削除せよ、止めよと唱えている)
以上、
 
<記者拉致1周年記念記事か>
韓国大統領府によりサンケイソウル支局長(当時)が韓国に拉致されてから8月は1周年、韓国での拉致は今年の4月14日まで続き、帰国を許されたものの、今も裁判が韓国で行われている。 
そうしたことから今ではサンケイは、反韓代表選手に上り詰め、敵陣であれ怯むことなく、裁判を戦っている。

産経新聞政治部専門委員の野口裕之氏が8月31日に掲載した記事「(韓国の)2股外交記事」は、打って付けの「記者拉致1周年」の記念記事になったようだ。

いずれ予定される朴大統領と安倍首相の会談後、サンケイがどんなに豹変するか見ものでもあるが・・・。
 
<閔妃(ミンぴ)とは>
閔妃(ミンぴ)は、李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃。明成皇后、朝鮮王后(閔氏)とも呼ばれる。尚、清の冊封国だった朝鮮では、李氏朝鮮王は、清の皇帝の皇子の血統ではなく、その称号は「王」であって称号では「皇」は使われなかった。ゆえに「王」の后の称号に「皇」を使うのは明らかな間違い。「明成皇后」の呼称は、後世においての通称。本来「閔妃」とは「閔氏の王妃」という意味。
閔妃は、国王高宗の正妃として強い権力を持ったが、閔氏一族を重用した縁故主義と汚職、そして義父興宣大院君(大院君、夫で王である高宗(政治無関心)の父)との20年以上にわたる権力闘争に終始した。

<背恩忘徳の事大主義>
その間、開化派であった閔妃は、まず日本に色目を使い、次に中国清ににじり寄り袁世凱(日本排除で利害一致、のちの中華民国初代大総統)を利用して、鎖国派の大院君を幽閉し、大院君勢力を封じ込めて我が天下を確実なものに。 
日清戦争(1894年7月25日~95年11月30日)で日本が勝利すると大院君勢力が息を吹き返し、これに対して閔妃は、ロシア(南下政策で利害一致)に助力を求め、政権を掌握したが大混乱、大院君勢力派や開化派などが乙未事変を起こし1895年10月8日に景福宮で暗殺された。 大院君支持勢力が勝利したものの、大院君が政治を執行することはなかった。

日露戦争(1904年2月8日~05年9月5日)では日本が勝利したが、閔妃が死して、9年余り経っていた。
ロシアの南下政策を閔妃が受け入れた閔妃の没後も高宗がロシアと内通し、ロシア太平洋艦隊(中国旅順港も中国から租借していた)も仁川などに常駐した。日露の間で大きな軋轢が生じていた。

閔妃の政治姿勢は、大院君との勢力争いに終始、賄賂不正が充満していた封建両班と地主の利益を代弁し、自らの勢力を維持したが、農民・庶民からは搾取の強化をはかり続け反発された。 
閔妃は、外部勢力に対しては、背恩忘徳の人物とも称せられ、日本へ、中国清国へ、ロシアへと事大主義を取ったところに問題があった。

時代と日米欧露の列強勢力襲来を背景とし、列挙諸国を利用し、漂流する上では知恵者であったともいえる。ただ、大事にすべき庶民・民心を疲弊させたことに統治者としての能力の限界があった。高宗がハーレム三昧のバカ殿であったことから、能力以上に自ら政治を取り仕切らざるを得なかったともいえる。

閔妃の政治では、政権維持のため贅沢三昧が行われ、庶民・農民に対しては弾圧が続き、重税を課せ続けたことから、次のような歌が広く謡われたという。

金樽美酒千人血    金の樽に入った美酒は、千人の血からできており
玉椀佳魚萬姓膏    玉椀にある美味い魚は、人民の油でできている
燭涙落時民涙落    ろうそくから蝋が滴るとき、人々の涙も滴り
歌舞高處怨聲高    歌舞の音楽が高く鳴り響くとき、人々の怨嗟の声も高くとどろく

[ 2015年9月 2日 ]
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