アイコン 「坂本龍馬は剣豪ではない説」破綻/龍馬は北辰一刀流の免許皆伝の剣豪だった

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幕末の剣豪で千葉道場を開設した千葉周作が創始した「北辰一刀流」の免許皆伝書を坂本龍馬が取得していたことを示す文書を、高知県立坂本龍馬記念館が初めて確認した。

千葉一門の道場で、剣術を学んだ龍馬は、後世の証言などから剣の達人だったとする説がある一方、剣術の皆伝書が現存しないため疑問視する説もあった。剣の達人だったことを裏付ける貴重な史料になりそうだと報道されている。

同館によると、皆伝書の存在を示す文書は、7代当主の弥太郎が明治43年8月30日付で、龍馬のおいの妻に書いた預かり書。北海道で行われた坂本龍馬遺品展に出品する際に書き記したもので、秘伝巻物として「北辰一刀流兵法皆伝」「北辰一刀流兵法箇条目録」「北辰一刀流長刀(なぎなた)兵法皆伝」と書かれていた。
遺物の目録(昭和4年)では、「千葉周作ヨリ受ケタル皆伝目録ハ全部焼失セリ 於釧路市」と書かれていた。これらの記述から、大正2年に釧路で起きた大火で坂本家が延焼した際、剣術の皆伝書は焼失したとみられる。現在、北辰一刀流の長刀の皆伝書は残っているという。
以上、報道

いままで龍馬の皆伝書は「長刀」しか現存しなかったため、龍馬の剣の腕は凡才であるとして、剣豪の名からはずされていた。

だが今回の資料によって、龍馬が免許皆伝を習得、しかも短期間という桁外れの剣術の才覚があったと推測されるため、剣豪の仲間入りとなる。

この一報により、「あの幕末の中、あれだけの死線をくぐって剣の腕前が非凡なわけがない」と言い続けた武田鉄矢氏もご満悦であろう。

 

坂本竜馬 免許皆伝

坂本竜馬に関する刀の前回記事

坂本龍馬が「特に愛した刀」

坂本龍馬が「特に愛した刀」と伝えられ、1929年(昭和4年)に東京で展示されて以来、行方が分からなくなっていた日本刀を、北海道在住の坂本家の関係者が保管していたことが2015年9月16日分かったと報道されている。
高知県立坂本龍馬記念館(高知市)で11月、86年ぶりに公開される。
  同記念館によると、見つかったのは刀身約52センチの脇差し。備前長船の刀匠「勝光」「宗光」の名や「永正2(1505)年8月吉日」と年月が記され、室町時代末期に作られたとみられる。「五大力菩薩」(密教で信仰される、仏法を護持する国王を守る仏)の文字も刻まれている。
以上、報道

<坂本龍馬は北辰一刀流の使い手>
千葉周作が創始した剣術北辰一刀流、千葉道場に通い使い手となる。
兵法は山鹿流習得、また「小栗流和兵法十二箇条並二十五箇条」も習得して日根野道場の師範代となっていた時期もある。

<備前国の刀匠>
南北朝時代の備前国の刀匠(相伝:兼光、義光、長船派:長光、雲次と鵜飼派、盛景と大宮派)
戦国時代の備前国の刀匠(長船派:勝光、宗光))が知られている。

[ 2015年10月14日 ]
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