アイコン 恐山近く薬研温泉郷の最老舗「古畑旅館」(青森)/自己破産へ 400年の歴史

スポンサード リンク
 

約400年の歴史がある青森・恐山に近い薬研温泉郷の老舗温泉旅館「古畑旅館」(青森県むつ市大畑町薬研1、代表:古畑一雄)が5日事業停止、弁護士に一任して、自己破産申請の準備に入った。

負債額は約1億円。

同旅館は、リーマン・ショックから売上不振に、東日本大震災の影響からさらに客足が遠のき経営不振に陥り、支えることも限界に達した。総ヒバ造りのお風呂でも有名だった。

<古畑旅館の歴史>

そ の昔即ち、元和元年(1615)豊臣方に味方した城大内蔵太郎が、豊臣秀頼公に別れを告げ秀頼公拝領の薬師如来像を棒持して最後の合戦地、越後に向かっ た。しかし、武運つたなく大阪城落城の三日前(元和元年5月5日)越後の城が落ち、拝領の薬師如来像と共に残った一族が、灘一丸(深山神社に奉納)で海に 逃れ流れ着いた所が大石であった(現在の大畑町字孫次郎間)現地の住人(長津家の祖先)に保護され一族の隠れ住む地を求め大畑川を遡った。

河口より約10キロ温泉の湧き出るこの地を発見し、関根部落より嫁がした妻方の姓を名乗り山本大内蔵佐兵衛と世を偽って畑作をなし、自立の地としてこの地に住み着いた。

近郷の人々は、この地を古畑と呼んだが、佐兵衛は温泉の湧き出口が昔、医家の使用する薬碾に良く似ていたことから薬碾と言った事が現在の薬研の語源である。

佐 兵衛が、この地に隠れ住む事10余年、世に出る機会をつかむ為、家臣である生茂佐衛門(古畑の初代)に、今迄の一切を任せ、思い出深いこの地に残るよう命 令して、大畑の深山に移住した、後南部藩に任官し明治迄代々大畑の山吏を勤めた、城大内蔵太郎は、大畑町の宝国寺の墓地に眠っている。

この地に残った生茂佐衛門は、二代目仁佐衛門に後を譲り君主の許で亡くなっている、仁佐衛門は寛文7年(1667)南部28代重直公より湯守別当を、命ぜられ以来明治迄12代別当を勤めた。

明治以降は、これまでの地名であった古畑を氏とし現在に至っている、また秀頼公より拝領の薬師如来像は薬研温泉の守護神としてまつられ毎年7月の丑湯まつりにご開帳されている。

先祖は、漢方薬を作っていたため昭和42年(16代当主)まで使われていた薬碾(粉末及び調合する器)が保存されている。

古畑旅館は、薬研渓流のすぐ側に位置し訪れる方々に「薬研渓流を真下に望む安らぎの宿」として親しまれております。と掲載されていた。・・・残念。

1208_01.jpg

 

 

 

 

 

[ 2015年12月 7日 ]
スポンサード リンク
 

 

コメントをどうぞ

関連記事

  • この記事を見た人は以下も見ています
  •  
  • 同じカテゴリーの記事です。
  •   
スポンサード リンク
 
JCNET注目記事!
PR いま建設業界の求人が急増中、当サイトおすすめのワークポートが便利です。


PICK UP


PICK UP - 倒産

↑トップへ