アイコン 回顧録「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」中村春光大兄 殿 ⑧

2016年、4月15日以降に発生した、熊本県を震源とする地震により亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、被災された多くの皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」の長~いプロローグを思い出すままにつらつらと書いています。その⑧

朝長則男佐世保市長朝長則男佐世保市長
中村春光大兄 殿

2012年6月27日のJCーNETのキンシロー投稿に下記のような記事を見つけた。回顧録の参考になれば幸いです。

「町おこしは〝牛〟(中村春光)」(http://n-seikei.jp/2012/06/post-9551.html

「イモとカボチャとダイコンより」(http://www.n-seikei.jp/log/2004/05/0508a.html

 私が平成15年10月24日、石橋昭事件で逮捕され、翌年平成16年2月6日に執行猶予付きの判決が下り、心機一転、再起に向けて闘志をふるい起そ うともがいてた、ちょうどその頃、東長崎にある牛右衛門で食事を済ませ、レジで会計をしようとした、その時、レジのカウンターの上に置かれていた「イモとカボチャとダイコン(著者・中村春光)」という本が偶然目に止まった。長らくご無沙汰していた春光会長と出会った頃を懐かしく思い出し、早々に本を購入、 一気に読んでしまった。春光会長らしい朴訥とした語り口と素朴な挿話の面白しろさと、懐かしさのあまり春光会長に無断で「イモとカボチャとダイコン」から一部を勝手に抜粋し日刊セイケイに連載してしまった。

 春光会長には、この場をお借りして無断で掲載した非礼を衷心より御詫び申し上げます。また、今回、春光会長に何の挨拶もしないまま、こんな勝手な回顧録を書 いてることも併せて御詫び申し上げます。近々に春光会長が好きな胡蝶蘭の花とカステラを持参し、江迎まで上梓の御挨拶に伺いますので、もうしばらく非礼を御許しくださいませ。「中村春光大兄 殿、 中山(小六)洋二 拝」

 私は宮島組合長の話を聞きながら、未だ会ったことも見たこともない林義博幹事長という県議に対し、強い嫌悪感と敵意を感じながら、同じように会ったこともない金子原二郎氏にも嫌悪感と敵意が湧きあがってきたのを今でもハッキリと思い出す。
 
 それは私が西岡武夫のファンということもあったろうし、父や母の時代からの西岡党という自負心からきたものもあっただろう。それと長崎市出身の政治家が 県北、生月町出身の政治家に負けるという現実に対しての狭義の意味での地元、偏狭的地元愛から来たものだったかもしれない。

0419_07.jpg 春光会長は「しかし林さんはチャレンジの会(林派)の会長でもあるし、朝長さんもチャレンジの会じゃなかったかね。簡単には大典さんの後任候補を容認す るわけにはいかんじゃろう。だいいち、朝長さんも誠吾ちゃんもそれじゃぁ~納得せんじゃろう。」と再び宮島大典氏の後任候補擁立は無理があるんじゃないの かと、ゆっくりとした穏やかな口調ながら毅然と言い放った。

 チャレンジの会とは長崎県議会自民党会派内で気が会う、仲良い県議が集まるグループ集団の一つで、国会の派閥に似ているが、それよりもゆるやかな集まり で、国会の派閥が親分、子分に近い強固な集団なのに対して、県議会の派閥は当選回数の多い人と少ない人の先輩、後輩の上下関係はあるが、どちらかというと 仲良し集団みたいなグループであった。チャレンジの会は林義博県議が会長に就き、林派とも呼ばれていた。当時、長崎県議会で最大勢力でもあった。

[ 2016年4月18日 ]
 

 

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