アイコン 奈良の平城京にペルシャ人の役人「破斯清通」在籍

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奈良黄金時代 : (場所不明の幻のままの卑弥呼の邪馬台国時代(1~3世紀)、4世紀以降の大和時代・飛鳥時代(明日香村一帯に、天皇が一代限りの京を作る)から、694年に持統天皇(第41代天皇)が藤原京(持統8年、京としてはじめて3代続く、橿原市と明日香村の一帯)に遷都し、文武天皇が平城京へ710年(和銅3年、奈良市~大和郡山市一帯))に遷都、784年(延暦3年)に桓武天皇が長岡京(京都府)に遷都するまでの奈良県の全盛時代。

奈良文化財研究所の調査で、奈良市の平城宮跡から出土した8世紀の木簡に、ペルシャ人とみられる人物が役人として働いていたことを示す記述があることがわかった。「平城京が国際色豊かな都だったことを示す、貴重な資料だ」としている。

木簡が見つかったのは、奈良時代の都、平城京の中心部、平城宮跡の南東にあたる場所。
奈良文化財研究所によると、50年前の発掘調査で見つかった木簡を、今年、赤外線を使って調べたところ、「破斯清通」(はし・きよみち)という人名が記されていることがわかった。

「破斯」という名字は、ペルシャを意味する漢字「波斯」と読み方が同じことから、木簡に記された人物はペルシャ人とみられるという。

また、この木簡は役人を養成する役所、「大学寮」の宿直勤務の記録だったことから、この人物が平城京の役人だったこともわかったという。

古代の歴史書「続日本紀」には、736年、遣唐使が連れ帰ったペルシャ人が聖武天皇と面会し、その後、位を授けられたという記述がある。当研究所は、このペルシャ人は木簡に記された人物と同一人物の可能性があるとしている。

ペルシャ人とみられる人物の名を記した遺物が出土したのは全国で初めてで、木簡を分析した奈良文化財研究所の渡辺晃宏史料研究室長は「平城京が国際色豊かな都だったことを示す貴重な資料だ」と話しているという。
以上、報道参照

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[ 2016年10月 6日 ]

 

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