「南京アトロシティ」の挙証責任は中国にある
(農と島のありんくりん)さんが、「残念ですが、日本側の反論が40年遅かったと思います。」と述べていますが、まったく同感です。
朝日が最初に南京事件を報じた時、なんかの間違いだろうくらいに思い、気にもしてなかった。
中国がマジ顔で南京事件を叫びだしたときも、そのうちに、間違いに気付いて恥をかくだけだ。くらいに高を括っていた。
ただ、それは我々市民レベルの話で、日本は政府としてキチンと反論しておくべきだった。
日中友好というお題目にお人好し国家日本はまんまと中共にやられてしまった。
きょうも、(農と島のありんくりん)を読んで「南京事件」の本質を知っておこう。
農と島のありんくりん
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/
移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する
「南京アトロシティ」の挙証責任は中国にある
私は南京事件を考える時、あえて単純化の方法をとる事にしています。
というのは、細部に渡る論争はいままでもさんざんなされてきており、やれ南京には20万人いたのいないのといった議論になっています。
ここまで長期間に渡って膠着した議論が続くと、素人が付け加えるべき新事実などないに等しいし、正直言ってどちらでも同じだと私は思っています。
もっと俯瞰してみないと、本質が見えてこないんじゃないでしょうか。
残念ですが、日本側の反論が40年遅かったと思います。
朝日新聞に連載された本多勝一『中国の旅』が出た後の数年で、政府レベルで徹底的な反論をしておくべきでした。
私は連載当時高校生でしたが、強烈なショックを受けて学校に切り抜きを持っていって読書会など開いたものです。
私が若くして左翼面に転がり落ちた暗黒図書を一冊上げろといわれたら、迷わずこの本でしょう。
朝日に「青春を返せ訴訟」でも起こしたいくらいです。本多の顔をみるだけでムカつきます。
それはさておき、南京事件についての私のアプローチの方法は、「大虐殺」の概念規定をする中から、何が「南京大虐殺」説を成立させるパラメータなのかを探っていきたいと思っています。
さて日本語では一種類しかないのでただ「虐殺」と言っていますが、横文字にすると多種多様あります。
昨日は「ジェノサイド」を見てみました。
似た概念に「ホロコースト(holocaust)」がありますが、共にユダヤ人の虐殺、あるいは、ユダヤ教への弾圧において使われます。
ただし、日本ではレッキとした学者が、「南京ホロコースト」とか、果ては「織田信長ホロコースト」のような使い方を平気でしています。
こういう言葉遣いをする学者の本は、それだけで読む価値がないと思って下さい。
私は南京事件はユダヤ人となんの関係もないので、この用語を使うこと自体間違いであるし、物理的にも30万人を殺すことは無理であると昨日書きました。
今日は別の概念をみてみます。
ヨーロッパは歴史的に国家間のみならず、民族間、宗教間、革命・反革命とあらゆるバージョンで大殺戮を繰り返してきましたから、「虐殺」を現す言葉の宝庫です。
「虐殺」を現す概念用語に、「アトロシティ(Atrocity)」という言葉もあります。
これは「衝撃的なほど残虐な民間人虐殺」を現します。
近代では「国家による民間人の大規模虐殺」というニュアンスで使われています。
軍事目標を狙った爆弾がたまたま住宅地に落ちたというのでは、アトロシティは成立しません。
あくまでも国家意志に基づく、一般市民の大量虐殺でなければならないからです。
肝は「国家意志」の有無なのです。
ですから、出先のサイコの兵隊が、個人の意志で一般市民を銃撃して大量殺害しても、それをアトロシティとは呼べません。
近代において国家によるアトロシティを防止するために作られた国際法が、ハーグ陸戦条約ですが、この条約の中には国家による民間人大量殺害の禁止が盛り込まれています。
現代史で文句なしにアトロシティに指定できる事件は、東京大空襲、広島・長崎への核攻撃です。
米国の場合、長い時間をかけて組織的に日本の住宅の燃やし方を研究し、どこにどう焼夷弾を落せばどのように燃え広がるのかを研究し尽くした上で、都市夜間爆撃のプランを立てました。
後に国防長官になるマクナマラが、これに関わっていこたとは書きましたね。
たとえば、東京大空襲では風上から焼夷弾を落とし、風下に逃げる市民の前方を焼夷弾で閉じて包囲して、10万人を生きたまま焼き殺しました。
この研究プランも爆撃計画チームの存在も明らかですから、「国家が計画的にアトロシティを働いた」と断じることが可能です。
日本人は米兵の顔や姿が見えずB-29という機械しか見えなかったために、なにかピンとこないようですが、あれはまがうことなく現代におけるアトロシティの代表例なのです。
南京事件の場合、欧米では、”Nanking Atrocities”(南京アトロシティ)で定着しているようです。
つまり、この言葉はそれ自体で、「国家意思に基づいて日本軍が、南京市民を大量虐殺した」という意味になります。
これに対して「マサカー(masscre)」という用語は、「相手に軍事的目的以外で苦痛を与えて殺害する」というニュアンスで使われます。
よく引き合いにだされるのがダムダム弾です。これは体内で旋回して苦しんで死ぬ残虐な兵器です。
軍事合理性がないのに、あえてこんなものを使う必要はないから国際法上マサカーとして禁止対象になっています。
え、ならば普通の弾丸でも苦しむだろうと思いますが、代替がないので仕方がないとされています。
南京事件の場合”Nanking Masscre”という言い方も流布しています。※流布していないと書きましたが違うとのご指摘を頂戴しましたので訂正します。
このように日本語でひとことで「虐殺」と言っても、多種多様あるのに驚かれただろうと思います。
「虐殺」を概念規定して使えば、そうとうに何が決定的に重要なのかが自ずとわかってくるでしょう。
「大虐殺」派の人たちの欠陥は、日本語のあいまいさに隠れて「南京ジェノサイド」とか「南京ホロコースト」だのと煽った表現を使うことです。
「南京ジェノサイド」「南京ホロコースト」という表現を使うのは、ナチスのユダヤ人虐殺と並ぶ人類史的悪行と言いたいからでしょうが、それがとんだ的外れなことは昨日書いたとおりです。
一回キッチリ概念規定してから使って下さい。
中国が日本を「南京アトロシティ」と呼びたいのなら、あくまで「国家意思」の存在を明示する挙証責任があります。
昨日も書きましたが、南京一般市民を全員殺戮することを命じた大本営の命令書、あるいはその議事録、それを受けた中支派遣軍から師団への命令書、師団司令部から連隊司令部への命令書、現場指揮官への命令書などなど大量になければなりません。
慰安婦問題もそうでしたが、軍というのは巨大な官僚機構ですから、上から下まで各級で文書が大量に残っていなければなりません。
よく敗戦時燃やしたからないのだと言いますが、あれだけ膨大な文書体系において1枚も見つからないことはありえません。
また、現場部隊は戦闘詳報を上げますので、そのための陣中日記がなければなりません。
陣中日記は南京事件研究でよく提出されますが、ただ敵兵や市民を何十人殺したでは無意味です。
必要なことは、上級司令部から南京市民を全員殺害するようにとの命令を受領したでなければなりません。
日本の「大虐殺」派の学者の皆さんが、深く勘違いしているのは、この日本軍側記録に何千人の捕虜、あるいは便衣兵を処断した記録があっただけでは意味がないのです。
「南京アトロシティ」と言うには、あくまでも計画的に大量殺害を命じられたという証拠がなければなりません。
この挙証責任は、中国と日本の「大虐殺」派にあります。
長くなりそうなので、明日に続けますが、南京事件においてもっとも解釈に苦しむのはこの捕虜と便衣兵の殺害です。
これについては事実関係も含めて検証してみます。
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