アイコン 松本市長再選 新しい沖縄政治の胎動か

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それにしても、浦添市長選挙での松本市長の当選は、新しい沖縄の息吹を感じさせました。

きょうも、秀逸のブログ(農と島のありんくりん)を紹介します。


農と島のありんくりん
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移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

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今回の浦添市長選における松本市長の勝利は、新しい沖縄の政治が動き始めている胎動を感じさせました。

沖縄の政治が難しいと思うのは、<基地>の呪縛から逃れられないことです。
なんともやりきれないことには、答えはふたつしかありません。

「苦汁の容認」か、「絶対反対」か、それだけです。まるで金太郎飴か踏み絵のようです。

そしてこれを軸にすべてが回ってきたし、今でも回っているのが、沖縄の地方政治でした。

浦添市長選でも似た構図が出来ようとしていました。

<基地>が踏み絵となりかかりました。

地元紙はここぞと松本市長の公約違反を争点化しようとしました。勝敗がついた後もくどくどと愚痴っている、沖タイ(2月14日)です。

「政治家が公約にどう向き合うかが最大の争点となる特異な市長選代議制民主主義では有権者は、公約の実現を期待して投票する。選挙のときだけの公約であっては有権者の政治不信は広がるばかりである。(略)

 選挙戦で松本氏は「県、那覇市が容認し政治環境が変わったため足並みをそろえた」などと批判に正面から応える姿勢に転じた。

有権者から一定の理解を得たとみられるが、又吉氏の得票数を自らに対する批判票と受け止める謙虚さが必要だ。となったが、松本氏は公約転換の理由を繰り返し説明することで、批判をかわした。」

はいはい、ならば変節の名人・翁長氏はどうなんですか、と言いたくなります。辺野古では公約違反し、浦添などでは3回ヘンシンしてみせました。

松本市長は元々容認派でしたので、戻っただけです。

沖タイが言う1期めの「反対公約」は、昨日書いたように、移設の出元の那覇市長だった翁長氏が反対に変身したために、2階に上がって梯子をはずされた形となった松本氏ら浦添側も同調せざるをえなかっただけの話です。

この「公約違反」うんぬんは翁長氏の変身を軸に見ないとわからいのです。

翁長氏は浦添移設については、知事になってからも一度も反対していませんから容認派なはずで、ならば彼を支える共産党ら「オール沖縄」もまた容認派になってしまいます(苦笑)。

天に唾するとはこのことですが、都合が悪いことには知らんぷりをしているようです。
それはさておき、この容認か反対かという2択の議論に引きずり込まれたら、松本氏の勝機はなかったことでしょう。

またた浦添市の場合、沖合の移転計画に伴う巨額の利権の存在です。土建業者にとってこれほどおいしい仕事はめったにありません。

埋め立ててナンボ、基地の上物作ってナンボ、付帯する港湾施設を作ってナンボ、アクセス道路を作ってナンボという具合に、この移設計画から湧きだす経済利権は大変なものです。
いかにそれが垂涎の対象なのか分かる動きをしたのが、維新・下地幹郎衆院議員たちの派閥でした。


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上の写真は下地氏が衆院選で維新(当時大阪維新)から公認証書をもらっている姿ですが、こんな立場の人が共産党や社民党と「共闘」できる道理がありません。

維新と彼らは根本的に安全保障観が異なるからです。

いつから維新は、移設に反対するようになったのでしょう。
にもかかわらず下地氏は、なんと「オール沖縄」陣営に走っていってしまいました。
なぜでしょうか。
それは松本市長が、下地氏の神経をいたく逆撫でする政策を打ち出したからです。
それはなんと移設案を、160ヘクタールに抑えることで、埋立面積を現行計画より72ヘクタール減らすという市独自の移設プランを作ったからです。
上は当初案。下は浦添市案です。

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松本市長ブ松本市長「百花繚乱日記」

http://tetsujimatsumoto.ti-da.net/

実に面白いと思いますね。容認、絶対反対と硬直せずに、住民にとってより環境的に最適化したものを国に投げ返すという姿勢が実にいい。

だいたいの首長は国からプランをもらうと、賛成か反対かの2択でしか発想しませんから、こういう自分たち地方自治体が住民目線でいじってみるという発想そのものが欠落しています。

何度も書いてきていますが、辺野古でも賛成・反対2択以外やりようはありました。

もう遅いですが、和解期間中にハンセン陸上案を提起すれば、政府も無下に拒否できなかったはずでした。

しかし、翁長氏は小指一本あげませんでした。共産党に怒られるからです。

二項対立の呪縛から逃れられれば、よりよい案はあるのです。

松本市長は移転問題を政治イデオロギーから解放し、「未来への投資」と市民に語りかけました。

私はこういう地方自治体のスタイルを高く評価します。
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ただ補償金をむしり取るだけではなく、イデオロギーや利権に縛られず、大胆に国のプランに対置できる自治体案を練ることで、住民にとってよりよい移設計画に高め上げていく姿勢は、実に新鮮です。

<住民主権>とでも言うのでしょうか。

このスタイルは、いままでの沖縄には見られなかったものです。

左翼陣営は「市民」と口にしても、それは反基地運動家のことであり、保守にとっては企業のことでした。

「住民」という目線は、過激な反基地闘争の陰に隠れてしまっていました。

高江紛争などでは、口では「やんばるの森を守れ」という人たちが、村の人々の生活を圧迫していました。そこには住民主権の姿は見えませんでした。

このような高江での反対派の狂態が県民にも明らかになるにつれ、「オール沖縄」の神通力は急速に衰えていきました。

さて、下地幹郎氏の奇怪な動きを追ってみましょう。

下地氏は、沖縄大手土建業の大米建設の創設者の息子で、いまだ経営に影響力を持っていると言われています。

下地氏が何を考えたのかは不明ですが、松本市長の基地縮小プランに反対だったことは間違いないことです。

「オール沖縄」陣営、つまりは翁長氏の下に走って行ってしまいましたのですから、なんとまぁ、節操がないことよ。

地方政治ではまれにあることはいえ、国政に関わる政治家がやることではありません。

自民党に党籍を持ちながら、共産・社民陣営に走った、かつての翁長氏や安慶田氏の姿を彷彿とさせます。

松本市長の対立候補だった又吉氏も、節操のなさでは人後に落ちませんでした。

「オール沖縄」に擁立されたものの、本来は「苦汁の容認」派でしたから、当初は「市長になったら住民投票で決めよう」などと、わけの分からないことを言っていました。

移設問題を住民投票で決するというのは、実はもっとも悪い選択です。

住民直接投票は間接民主主義を前提にしている議会主義を否定するばかりではなく、そのときの「気分」で大きく変化します。

それはBrexit(ブリグジット)などを見ればお分かりいただけるでしょう。

法的拘束力がないとはいえ、安全保障問題という国の安全がかかることを、そんな危うい方法で決するわけにはいきません。

ただしこの又吉氏はただ決められなかっただけのようです。支援の「オール沖縄」陣営に強く命じられたから反対と言ってみた、ていどのようです。

というのは選挙戦中盤になって下地一派が又吉陣営に飛び込んでくるやいなや、いきなり「苦汁の容認」派に復帰してしまうからです。やれやれ。

私はいい意味で松本市長のような「非沖縄的」政治家が、浦添市に誕生したことを嬉しく思います。

利権とポスト配分しか能がない利権政治家を選ぶか、硬直した左翼運動家しか選択が限られていた中で、沖縄に<住民主権>の政治家が生まれたことは素晴らしいことです。

次の県知事は、ぜひ松本市長のようなタイプになってほしいものです。

■写真アップしたらよくなかったので替えました。

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[ 2017年2月15日 ]

 

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