アイコン 投稿 我那覇真子さんへの手紙 その3

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5月15日は沖縄県の本土復帰(昭和47年)45周年でした。こんなめでたい日を沖縄県は勿論、本土でも公式行事として祝う事をしません。

悲しいことです。

おそらく、それは沖縄2紙(琉球新報・沖縄タイムス)の思想信条、報道姿勢が、そうさせてると思います。

そのかわり、5月15日には沖縄2紙がバカのように騒ぐ「県民大会」と称する県民以外(各都道府県から参加する労組)が多く参加する大会が行われ、今年は韓国からも40人が参加していたそうです。

多くの沖縄県民がほとんど参加しない不思議な「県民大会」です。

今年も2000人位が県内外から集結し、「辺野古移設阻止」普天間基地の固定化を目指して気勢を上げていたそうです。

そこでは暴力事件を起こして逮捕起訴され、現在保釈中の山城ヒロジ氏が登壇してヒーローのように振る舞ってたというから、驚いています。

こんな人物を英雄のように扱い、記事にするのが沖縄紙です。

そして、その沖縄2紙を正す会の代表が我那覇真子さんです。

きょうは、投稿 我那覇真子さんへの手紙の最終回です。

(農と島のありんくりん)の管理人さんと、伊勢佐木ローズの卓越した見識にはいつもながら唸らされます。どうぞ~

農と島のありんくりん
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移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

投稿 我那覇真子さんへの手紙 その3

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今回が最終回になります。

伊勢佐木氏は、復古的な保守思想とリベラルな民主主義としての保守思想の違いを丁寧に説明されておられます。

私から見ても、我那覇氏は保守急進主義、あるいは復古主義的保守主義に傾斜しているように見えます。

かつて私はこう書いたことがあります。

「左翼リベラルの急進主義は、反安保・反原発・移転阻止・反基地など、どれもこれも急進主義一色なので見えやすいのですが、自民党や保守層の中にもあります。

小池都政が妙に共産党と親和性があるのは、その急進主義の根が共通しているからです。

保守急進主義は、かつてあった栄光の復元です。それがなまじかつて現実に実在していたものの復古ですので、見えにくいだけです。

しかし、言っている内容は正反対ですが、同根です」

関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-3388-1.html

焦っては負けです。徒に戦線拡大することは危険です。

あくまでも誰がほんとうの<敵>なのか、しっかり見つめて進まねばならない時期です。

名護市長選・知事選に勝利して、「オール沖縄」を完全に葬らねばなりません。いまはそれに集中すべきです。

安易な本土保守との「連帯」は危険です。本土には本土のテーマがあり、沖縄には沖縄のテーマがあるのです。

互いに「保守」だからと安易に繋がれば、圧倒的に層が厚い本土保守運動に呑み込まれます。

本土に「反基地」以外の考えがあることを伝えるのは大事ですが、それは全国保守運動センターのようなものを作ることとは別次元なはずです。

あくまでも我那覇氏が県民に共感を与えているのは自由な言論を封殺してきた地元2紙と、彼らが支える疑似共同体の「オール沖縄」とただひとり果敢に戦ってきたことに対してだということを忘れないで下さい。

沖縄に根付いた実感を伴った運動を!

さもないと、真子さんの素晴らしい情熱が空回りしてしまいますよ。

私も抱いた老婆心を代わりに書いて頂いた伊勢佐木氏に感謝いたします。
                
                  ~~~~~
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           「我那覇真子さんへの手紙」 その3
                                       伊勢佐木ローズ 
承前

最後に、真子さんの最近のツイートで気になったものを取り上げておきたいと思いま す。 

「私の前には今、休日の横浜中華街で美味しい肉まんを頬張っている平和ボケした日本人が通って行く姿があります。

保守運動は同好会ではなくこの一般の人達の目を覚まさなければなりません」(真子さんの4月29日のツイート)

この真子さんのツイートに対して、なぜか新潟県知事の米山隆一さんが皮肉を込めた リツイートで応えたことで、ちょっとした「炎上」を招きました。 

ご本人は大真面目かもしれないので恐縮ですが、面白いです。

休日の横浜中華街で、 美味しい肉まんを頬張らずにいったい何をしろというのでしょうか(笑)。

控えようと思っていましたが、あまりに面白いので一句捧げます。

「肉まんの 熱きお肉に 触れもせで 寂しからずや 保守を説く君」〉(米山隆一新潟県知事の5月2日のリツイー ト) 米山さんに「保守」を語る資格があるかどうか疑問ですし(それに「一句」ではなくて「一首」です)、知事として真子さんに噛み付くのも品位がないと思いますが、米山さ んのいいたいことはわかるような気はします。 

私も横浜中華街にはよく行きますが、肉まんを頬張りながら歩いている観光客の行儀の悪さは気になっています。

保守運動を「同好会」と捉える真子さんの感覚にも異存はありません。

が、中華街の観光客を「平和ボケ日本人」の象徴として捉え、「危機にある日本の現状に覚醒せよ」と説く態度には違和感を憶えました。

これに関連して、真子さんのいう「保守」についてちょっとだけ考えたいと思います。

戦後日本の「保守」とは、「自由民主主義」を標榜する自由民主党のことです。自由 民主主義の出発点は個人の自由の尊重です。

ただし、集団的な利害に関わることは民主的な意思決定に任せるという考え方です。

それよって個人の自由や人権の一部が制約されることはありますが、社会全体の自由は守られるという立場です。

私は、「言論の自由」を始め個人の「自由」を最大限尊重する日本は良い国だと思い ます。

「自由民主党」の「自由」の部分がこれに当たります。

「沖縄には基地反対以 外の世論はない」といわんばかりの沖縄二紙の姿勢が問題なのは、沖縄における「言 論の自由」を妨げる要因となっているからです。 

他方、個人の「自由」の無制限の保障は、自由と自由の衝突を生みだし、社会全体の秩序と平和を破壊してしまいます。

個人の自由の無制限な肥大化を制約することが、 社会全体を守ることになります。

無制限な自由に歯止めをかけるシステムが民主主義です。

「自由民主党」の「民主」の部分がこれに当たります。

民主主義は原則として多数決の世界ですから、「民主的な意思決定」は、それとは異なる意見を持つ人びとの「自由」を束縛します。

つまり、「自由」と「民主」は対立 概念になりうるということです。

けれども私たちは、民主主義に取って代わるような意思決定の仕組みを不幸にして持ち合わせていません。

少なくとも今は、民主主義と いうシステムに則った意思決定を皆で尊重せざるをえないということです。

民主的な意思決定の中身を批判する自由はありますが、「民主的な意思決定を受け入れない自由がある」と主張することは、民主主義の否定につながります。

民主主義を否定する となると、一人または一握りの専制的な支配者や支配組織に集団的・共同的な意思決 定を委ねるか、あらゆる自由を無制限に認めるアナーキズムに移行するほかありません。

真子さんが、日本における自由主義や民主主義、あるいは自由民主主義の展開を理解した上で、こうツイートしているとしたら、戦後日本の保守の築いてきた伝統とは異なる「保守主義」を提案していることになります。

「私の前には今、休日の横浜中華街で美味しい肉まんを頬張っている平和ボケした日本人が通って行く姿があります。

保守運動は同好会ではなくこの一般の人 達の目を覚まさなければなりません」(真子さんの4月29日のツイート)

https://twitter.com/ganaha_masako/status/858141916386410496

真子さん は「中華街で肉まんを頬ばる自由」に疑問を呈しているからです。

おそらく真子さん のいう保守主義は、個人よりも国家を上位に置く復古的な「国家有機体説」に基づく右翼思想だと思います。

これは、自由民主主義とは相いれないものです。

「戦後レジー ムからの脱却」に自由民主主義の放棄まで含めてしまってよいのでしょうか。

私はそ うは思いません。
 
日本の保守は「中華街で肉まんを頬ばる自由」を最大限尊重する自由民主主義を掲げ てきました。

北朝鮮による核攻撃や中国による尖閣占領の可能性があるからといって、 「中華街で肉まんを頬ばる自由」が犠牲にされていいと私は思いません。

真子さんに は、戦後日本の「保守」についてもっと多面的に理解して頂きたいと思います。

また、 中華街が台湾(国民党)系華僑が苦労して築き上げてきた街であるという歴史的事実も忘れてほしくありません。

これらを理解した上で、「国民一丸となって北朝鮮、中国と闘う準備をすべきだ、中華街で肉まんを頬ばる自由は制約されるべきだ」と主張さ れるなら、それはそれでやむをえませんが、新味のない復古的な右翼思想で、もはや時代にそぐわないと私は思います。

ただ、真子さんがご自分の主張にこだわるというのであれば、米山知事に対して、せめて「返歌」で応ずるウィットは見せてほしかったと思います。

そうした知的な営為の積み重ねが真子さん自身の活動をより豊かにしていくと思います。

そこで、締めくくりにあたり、「真子さんに成り代わって」米山知事に返歌を返した篠原章さんのツイートを記しておきます。

こうしたウィット、つまり知性の厚みが真子さんに求めら れているものだと思います。 

米山新潟県知事が我那覇真子さんに宛てた与謝野晶子まがいの首が話題ですが、真 子さんに成り代わり知事に返歌を差し上げます。

「反原発 群れつつ極道 来るのみぞ あたら米山とがにはありける」難行法師 「散ればこそ いとど米山めでたけ れ 憂き世になにか久しかるべき」詠み人知らず〉(篠原章さんのの5月7日のツイー ト) https://twitter.com/akiran0723/status/861057733759442944

伊勢佐木ローズによる首の解釈。

「反原発 群れつつ極道 来るのみぞ あたら米山 とがにはありける」 反原発と唱えることで、道を外れた人びとばかり集まっているが、これはもう米山新潟県知事の罪である。

「散ればこそ いとど米山めでたけれ 憂き世になにか久しかるべき」 米山知事は、散ってこそ(選挙に負けてこそ)価値のある存在になれるのです。

この世に永遠などありません。

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[ 2017年5月16日 ]

 

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