アイコン 加計事件と鳩山元首相の「最低でも県外」

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あの2009年(平成21年)から2010年(平成22年)にかけての鳩山政権の辺野古狂騒曲的な騒動は今、思い出しても最悪の悪夢だった。

最低でも県外というよりも、最低で基地外な総理でした。鳩山氏が日本の総理だったという事実さへ思い出したくもない日本の悲劇でもあった。

最後のオチが鳩山氏の迷言、「学べば学ぶほど(米海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」には沖縄県民は勿論、日本の多くの国民が失笑したもんだった。

そして鳩山政権は9ヶ月で終わり、そのあとの菅政権が致命的に日本を壊し続けたのは今更説明することもない。

日本人離れした菅政権の一年3ヶ月はまるで拷問にあってるような一年3ヶ月だった。

政権交代という御題目でさんざん国民をミスリードした反日マスコミが、今、必死になって森友学園だ、加計学園だ、前川だと騒いで安倍総理を引きずり下ろそうと必死になっているが、日本の国民の信を失ったマスコミが何を言おうと日本国民は二度と反日マスコミには騙されない。

きょうも、一週遅れですが(農と島のありんくりん)をどうぞ~

農と島のありんくりん
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移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

加計事件と鳩山元首相の「最低でも県外」

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いまの加計事件は、かつての鳩山元首相の「最低でも県外」と似た部分があります、と言ったら驚かれるでしょうか。

鳩山氏がそんなに沖縄問題に力こぶをいれるとは思っていなかったので、いい意味で意外感があったのは確かです。

私は充分に実現する可能性はあると思っていました。

関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/10-f20f.html

解決案は既に提示されていて、沖縄側にも伝えられていたからです。それはもちろん、小川和久氏の「キャンプ・ハンセン内移動案」です。

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Google Earth キャンプハンセン

詳説はしませんが、ハンセン敷地内には、かつてチム飛行場という旧軍の飛行場跡があって、いまは兵舎が建っています。

兵舎なんかブルでかたづければ滑走路のひとつくらい充分に出来ます。しかも、1800mとハンパに短い辺野古とは違って、普天間規模の滑走路を確保できます。

そして何といっても美しい海を埋め立てる必要がなく、しかも基地内移動ですから「新基地」という批判はあたりません。

ところが、鳩山氏はさんざんアチラでもないコチラでもないと迷走し、徳之島案だの嘉手納統合案だのとやくたいもない案に飛びついたあげく、最後にはグアム案ときたもんだとなった時には、もうハチャメチャでした。

なぜでしょうか?

もちろん鳩山氏が、外交・安全保障のイロハのイである「抑止」概念すら知らないような度し難い無知な政治家だったということはありますが、それだけではありません。

後に鳩山氏や彼を持ち上げる反基地運動家たちが口を揃えるように、「官僚が動かなかった」のが最大の原因です。

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基地移転問題の必読文献に、10年間以上も普天間移設交渉に関わってきた、守屋武昌・元防衛省事務次官(2003年・小泉内閣~2007年・第1次安倍内閣在任)が書いた『普天間交渉秘録』という本があります。

実は守屋次官在任時に、いったん移転先はキャンプシュワブ陸上案で、本土政府と沖縄県、米国の調整は終了していたのです。

このままシュワブ陸上案に着地すれば、いまの移設をめぐる激しい紛争は回避できたはずです。

ではなぜそうならなかったのかといえば、受け入れ自治体の名護市と、県内土木業者団体を中心にする経済界が反対し、米軍からそれを言わせることでひっくり返したからでした。

結局これで辺野古埋め立て案が、消去法的に最終案に残ってしまったということになります。

沖縄にとっても、本土政府にとっても、不幸なことだったと思います。

それはさておき、鳩山氏が政権を握った段階では、まだ最終案を揺さぶる余地は残っていました。

なぜなら、今のように移転反対運動が激化する以前だったからです。

いったん政治的対決構造ができてしまうと、もはや政府は引くに引けなくなります。

政権にとって政治的ダメージになる上に、、後にやらねばならない他の米軍基地の縮小・移転計画がすべて見直しになってしまうからです。

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http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4132.html

鳩山氏がもし「最低でも県外」を強力に実行したいならば、官僚を味方につけねば勝てなかったでしょう。

鳩山氏は辞任後こう述べています。

「鳩山氏は首相時代、防衛官僚から「米側の移設先の条件は沖縄から65マイル以内」と示されたことが事実無根だったことなどを挙げ「防衛、外務官僚は一度決めた辺野古移設を蒸し返されては困るから、米側の意向も忖度(そんたく)して辺野古しかないとリードした」と述べた。

大臣も役所に取り込まれ、大手メディアも既得権にどっぷり漬かり、壁を破れなかったのは私の力量不足だった」とした。」(琉球新報2015年9月7日)

なにが65マイル(約100㎞)は嘘だったですか。アホか。

そもそも米軍の要求は、航空基地と陸上部隊のキャンプを隣接させるのが原則です。

そんなことは調べればすぐわかることですし、安全保障の専門家に聞けばたちどころに教えてくれたでしょう。

自分の不勉強と無能さかげんを置いて、「日米安保村(鳩山氏の表現)の謀略」とまでいうのですから妄想入ってます。

それはさておき、ここで鳩山氏が今年の流行語大賞となりそうな「忖度」という言葉を使っているのが面白いですね。

官僚が強い者を「忖度」するのはあたり前。前例踏襲に凝り固まっているのも当然です。

この鳩山氏の場合、「日米安保村」とやらが米国の「ご意向を忖度」して、オレのやることを妨害したんだと言いたいようです。

「日米安保村」は、明らかに日米同盟を破壊する危険性がある、「最低でも県外」路線をサボタージュしたかったのです。

だから鳩山氏は官僚に面従腹背されて、狂乱しながら迷走してしまったわけです。

そのような構造を政治主導で崩すと言って官邸に乗り込んだのが、あなた方民主党政権だったはずです。

「忖度されたから負けた」ではなく、「官邸のご意向」を官僚に「忖度」させねばいけなかったのではありませんか。

これまでの交渉経緯を熟知している防衛官僚に、すべての情報を吐き出させれば、砂の中のダイヤモンドのように最良の解答であるハンセン移動案、ないしは次善のシュワブ移動案が見つかったはずです。

どうせ官僚の力を借りなければ読み解く能力がなかったのでしょうから、小川氏を官邸に呼べばいいのです。

もちろん鳩山氏が言うように、7年間かけて積み上げたガラス細工を、もうこれ以上壊されたくない、米国と協調したい防衛・外交官僚は、おそらく徹底して「動かない」ことを暗黙のうちに申し合わせたはずでした。

かくして官僚の協力を得られないまま、素人同然の民主党議員がいたずらに走り回ることになります。

ところで、官僚の憲法には、「第1条第1項・前例は踏襲されるべきこと」と明記してあります。

ちなみに前文には、「官僚は国の礎。故に神聖不可侵」と書いてあるそうです(うそ)。

前任者のやったことを否定しない、外部からの「政治指導」は柳に風と受け流して、省益をダンコ防衛する、これが官僚の正しく生きる道、前川氏流にいえば「官庁の公平な判断」ということになります。

鳩山氏がやるべきことは強力に官僚をグリップし、グーの音も出ないほど「政治主導」のプレスを掛け続けることだったはずです。

辞めた後になって「官僚が動かなかった」ではなく、動かすのが政権の仕事でした。

負けた後になって鳩山氏のように、「日米安保村の謀略に負けた」なんて泣き言は聞きたくありません。

官僚の既得権と戦うというのは、まさにそういうことなのですから。

政治が行政の既得権に切り込み、従わせることができなくて政権公約が果たせるはずがありません。

私が冒頭で加計事件と似ている、と言ったのはこのことです。官僚をして官邸の意志を「忖度」せてしめること、これか政治家の本来の仕事なのです。

鳩山氏がぶつかったのは防衛・外務官僚がつくった「岩盤」です。

これは半世紀以上、獣医学部が新設されなかった文科省の「岩盤」と本質的にはまったく一緒です。

鳩山氏と安倍氏との違いば、鳩山氏は官僚から軽い神輿扱いされ、一方安倍氏は官僚に対してトップダウンでグリップする能力を獲得していることです。

もちろん官僚機構には、所轄大臣がおり、その下に官房があって、次官以下の指揮命令系統が存在します。

組織命令系統的にはトップダウンは出来にくいのですが、ならば大臣に腹心を据えればいいのです。

いわば官邸の間接統治ですが、安倍氏の場合は首相の腹心である下村文科大臣を置きました。

いかに首相であろうと官僚に対して間接的命令しか出せないために、「忖度」というあいまいな言葉になってしまいます。

この命令の間接性が、今回の事件が一見曖昧な影響力行使、あるいは身贔屓に見えてしまった原因です。

一方、鳩山政権の防衛大臣だった北沢氏は、民主党議員としては例外的に優秀でしたが、しかし素人の域を抜けませんでした。

本気で「最低でも県外」公約を果たす気ならば、もっと大物、たとえば小澤氏あたりにやってもらうというウルトラCもあったかもしれません。(ゾッとしませんけどね)

とまれ「政治主導」をしたかったら、官邸-所轄大臣-次官という縦の命令系統を明確にする
しか方法はないのです。

日本は大統領制ではないのですっきりいかないのですが、官僚に任せ放しにしないで政権がしっかりと外交・財政・教育などを統率していく仕組み作りは、紆余曲折を経ながら進められてきました。

橋本行革による首相の基本方針発議権、内閣府の設置などから始まり、それは民主党政権時の国家戦略局構想に受け継がれています。

発想そのものは悪くないのですよ。予算案の骨組みから、外交・安全保障・財政まで一括したグランドデザインを作る機関を政府内に作ろうということですからね。

ところがこれが民主党政権の「政治主導」は、先に見た鳩山氏の挫折のように腰くだけになってしまい絵に描いた餅に終わってしまいました。

皮肉にもそれを形を変えて引き継いだのが、第2次安倍政権でした。

いまや民進党は安倍憎しのあまり真逆に走り、官僚と結託し始めましたが、それは数少ない民主党政権のポジティブな部分である内閣機能強化=「政治主導」を自己否定することになると気がついていないようです。

安倍氏は2014年に内閣人事局と国家安全保障局(NSC)を設置し、内閣機能を大幅に増強します。

官僚サイドからすれば、どんどんと自分の権限を削られていくという危機感があったはずです。

「岩盤」は堅牢たる構造そのものですから、強い政治力をもっています。

国の金や許認可が動くところ必ず既得権者が存在し、彼らは政治資金を与えることで族議員を飼い馴らし、既得権団体に官僚を天下りで受け入れることで強大な<政-財-官>の「岩盤」を作り上げてきました。

官僚にとっては大臣など、一時間借りしているお客さんにすぎないのです。

この「岩盤」規制を改革するために作られた特区だったわけですが、ここでも文科省と既得権団体からすさまじい抵抗に合いました。

そのひとこまが、今回の加計事件です。

官僚に官邸の意志を「忖度」させることができなければ、いつまでも官僚が国のあり方を決めてしまい、なにひとつ変わらない「岩盤」は続くのです。

かつて「官僚の岩盤を壊せ!政治主導だ」と叫んでいた朝日や民進党が、なぜ今回になって掌を返したように官僚を持ち上げて、官邸の「いい忖度」を口を極めて罵るのか、私には理解できません。

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[ 2017年6月 6日 ]

 

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