近づく関東巨大地震 相模トラフ500年周期か 南関東のM7以上の地震一覧
関東南部の沖合で繰り返し発生している巨大地震のうち、江戸時代に起きた「元禄関東地震」と同じタイプの地震が、最短で国の想定のおよそ5分の1にあたる500年ほどの間隔で発生していた可能性のあることが専門家のグループの分析でわかったと報道されている。
専門家は、従来より発生が近づいているおそれがあり、防災対策を進める必要があると指摘している。
神奈川県の相模湾から千葉県の房総半島南東沖にかけての「相模トラフ」と呼ばれるプレートの境界では、マグニチュード8クラスの巨大地震が繰り返し発生していて、このうち314年前の江戸時代には「元禄関東地震」と呼ばれる地震が起きている。
産業技術総合研究所などの研究グループは、この「元禄関東地震」の震源域に近い千葉県南房総市で、過去の地震の痕跡を詳しく調査した。
この地域では、巨大地震が発生するたびに地盤が隆起して海岸線が移動する特徴があるが、調査の結果、5800年前に隆起した海岸線の痕跡が新たに見つかったほか、これまで確認されていた4本の海岸線の痕跡のうち3本について、隆起した年代が800年から2000年、新しかったことがわかった。
この結果、海岸線は6300年前と5800年前、3000年前、2200年前、それに314年前の前回の「元禄関東地震」で隆起したとされ、この地震と同じタイプの巨大地震が、最短でおよそ500年の間隔で発生していた可能性があることがわかったという。
この地震について、政府の地震調査研究推進本部は、これまでおよそ2300年の間隔で発生したと想定しているが、研究グループは、今回の調査結果からそのおよそ5分の1に短縮され、巨大地震の発生が従来より近づいているおそれがあるとして、防災対策を進める必要があると指摘している。
以上、報道参照
<元禄関東大地震・宝永地震・富士山大爆発>
元禄関東大地震は、元禄16年11月23日(1703年12月31日)午前2時ごろ、関東地方を襲った巨大地震。
震源は相模トラフの房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。マグニチュード(M)は7.9-8.5と推定されている。
江戸時代中期の元禄から宝永年間は巨大地震、噴火が続発した時期であり、本地震の4年後の宝永4年(1707年10月28日)にはM 8.4-8.6(Mw 8.7-9.3)と推定される宝永地震、および1707年12月16日に富士山の宝永大噴火も発生している。
<関東大震災>
元禄関東大地震は、大正12年(1923年9月1日)に発生した関東大震災(大正関東地震)と類似のタイプの海溝型地震である上に、震源分布図も類似することから大正関東地震以前の相模トラフ巨大地震と考えられている。
ただし、元禄関東大地震での地殻変動は大正関東地震よりも大きいものであった。
元禄関東大地震では大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したとされる。
南関東におけるM7.0以上の地震が、過去の地震の経過からすれば最近少なく、今回の500年周期説が出たものと見られる。東日本大震災での影響により相模トラフや南海トラフに歪が発生している可能性も否定できない。
日本は、上からも下からも横からも大変な国だ。
南関東で発生した地震 M7.0以上
|
|||||
地震名
|
年
|
震央ほか
|
深さ
|
規模M
|
被害
|
相模・武蔵地震
|
878
|
相模
|
不明
|
7.4
|
死者多数
|
鎌倉大地震(永仁鎌倉地震)
|
1293
|
|
不明
|
8以上
|
死者2.3万人
|
相模地震(永享関東地震)
|
1433
|
|
不明
|
7以上
|
死者多数
|
明応地震(東海道沖大地震)
|
1498
|
南海トラフ地震連動
|
不明
|
8.2~8.4
|
死者3~4万人
|
房総沖地震
|
1590
|
安房・2m隆起
|
不明
|
|
|
慶長地震
|
1605
|
房総沖と南海トラフ説
|
不明
|
7.9~8.0
|
死者1~2万人
|
寛永小田原地震
|
1633
|
相模湾西部(小田原市沖)
|
不明
|
7.0
|
死者150人
|
相模・江戸地震
|
1648
|
|
不明
|
7.0
|
|
延宝房総沖地震(延宝地震)
|
1677
|
茨城県沖
|
不明
|
8.0
|
|
元禄関東地震
|
1703
|
野島崎沖
|
23km
|
8.1~8.4
|
死者1万余人
|
宝永富士宮地震
|
1707
|
|
不明
|
7.0
|
死者4人
|
天明小田原地震
|
1782
|
神奈川県西部
|
不明
|
7.0
|
死者あり
|
嘉永小田原地震
|
1853
|
神奈川県西部
|
不明
|
6.7
|
死者100人
|
安政東海地震
|
1854
|
南海トラフ説
|
不明
|
8.4
|
死者2~3千人
|
安政江戸地震
|
1855
|
東京湾周辺
|
不明、諸説有
|
6.9-7.4
|
死者7444人-1万人
|
明治東京地震
|
1894
|
東京湾付近(荒川河口付近)
|
40[5] - 80km程度[6]
|
7.0
|
死者31人
|
茨城県南部の地震
|
1895
|
茨城県南部(霞ヶ浦付近)
|
約40 - 60km
|
7.2
|
死者9人
|
茨城県南部の地震
|
1921
|
茨城県南部(竜ヶ崎付近)
|
約40 - 60km
|
7.0
|
-
|
関東大震災
|
1923
|
神奈川県西部
|
23km
|
7.9~8.2
|
死者10.5万人
|
(上記余震)
|
1923
|
相模湾
|
0km
|
7.3
|
-
|
(上記余震)
|
1923
|
千葉県南東沖
|
14km
|
7.3
|
-
|
丹沢地震
|
1924
|
神奈川県西部(南足柄市付近)
|
0 - 10km
|
7.3
|
死者19人
|
(北伊豆地震)
|
1930
|
静岡県伊豆地方(函南町付近)
|
1km
|
7.3
|
死者272人
|
茨城県沖地震
|
1938
|
茨城県
|
|
7.0
|
|
房総沖地震
|
1953
|
|
|
7.4
|
|
(八丈島近海地震)
|
1972
|
|
|
7.0~7.2
|
|
(伊豆大島近海の地震)
|
1978
|
伊豆大島近海
|
15km
|
7.0
|
死者25人
|
茨城県沖地震
|
2008
|
|
|
7.0
|
|
(東日本大震災)
|
2011
|
|
|
9.0
|
死者2.2万人
|
・規模や被害者数については推定値含む。古い地震は諸説あり。
|