アイコン 山路敬介氏投稿 書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道 その1

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あれだけ普天間基地を世界一危険な基地と声高に叫んでいた沖縄2紙はじめ沖縄左翼、本土の反日メディアは、平成13年12月に仲井真弘多前知事が普天間基地危険除去を急務として、苦渋の辺野古埋め立て承認をしたとたん、普天間基地の危険など関係ないとばかりに仲井真弘多前知事を沖縄の裏切り者、沖縄県を金で売った男と大騒ぎしだした。

沖縄タイムス、琉球新報の仲井真弘多前知事叩きキャンペーンは異常というか常軌を逸した基地外そのものだった。沖縄ブログの雄(狼魔人日記)がよく使う発狂していた。

仲井真弘多前知事は長く続きすぎた辺野古、普天間問題と決別して、沖縄の新しい一歩を踏みだしたかったんだと思う。

翌、平成14年11月の知事選で、そんな沖縄2紙や左翼に担がれた外連の人、翁長雄志氏に仲井真弘多前知事が敗北したことが、いかに沖縄県にとって大きな損失だったか、外連の翁長雄志氏が知事になって約3年近く、どれだけ沖縄が壊され、日本が陥れられたか、思い返しても寒気がするくらいである。

きょうも、(農と島のありんくりん)を読んで納得させられました。

農と島のありんくりん
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/

移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する

山路敬介氏投稿 書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道 その1 

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山路敬介氏の投稿を掲載いたします。

篠原章氏の新刊、『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』(飛鳥新社)の書評に止まらず、山路氏の鋭い分析が加わってたものになっています。

優れた著作に、優れた書評に恵まれたことを心から感謝します。

4回分割でお届けします。その間、私の通常記事は別途掲載といたします。

              ~~~~~~~~~~
■書評 篠原章 『「外連(けれん)の島・沖縄――基地と補助金のタブー』への道  
             ~ 疎外される本土の納税者~ その1
                                 
                               山路敬介

■はじめに
ベストセラーとなった前作「沖縄の不都合な真実」から2年半。 8/31篠原章氏の新著「外連の島・沖縄」(飛鳥新社)がようやく出版されました。

概略のご紹介と私個人の持論も入れて、沖縄とは何なのか?、沖縄の何が問題か? 少々感じた事を論じたいと思います。
 
篠原氏は「保守派」という括りのある言論人ではありません。

沖縄の問題を語る知識人として異例で、左右いずれにも後ろ盾となるような団体性はなく、権力的な方向に寄る傾きもありません。

強いて言えば、他の人よりも思想的には個人・自由・民主主義的傾向を強く矜持としているように見る事が出来ますが、その書いたものから特段の「色付け」は伺えません。

かく言う私も保守派とは言えませんが、篠原氏の「米軍基地を(さらに本格的に)減らすためには~云々」との命題を掲げる発言を度々されるところから印象し察するところ、「SACO合意以上の米軍基地の削減はやるべきではない」と考える私とは根本的に意見の相違があるのだろうと考えています。

しかし本書での沖縄の深奥に迫る現状認識や歴史的経緯への洞察はきわめて深く、しかも完全に納得出来るものだし、かつ様々の理由から結論として「補助金は沖縄の為にならない」と言わざるを得ないのであって、そこも完全に一致します。

日本人は沖縄に多年にわたる特別の愛情を注ぎ込みながらも、彼我の違いを簡略化した一面的理解しか持つことはなく、要するに「自分好みの絵ヅラ」に当てはめて考えて来たのではないだろうか?

日本政府は沖縄の本質的問題を理解せず、あるいはそこをスルーして対峙して来なかったゆえ、今だに安全保障を一地方に人質として取られ続ける失態を補助金で糊塗し続けるが、もはや限界を越えているのではないか?

沖縄県や沖縄の為政者の「外連」は明らかだが、主権者である沖縄県民自身が果たして民主主義の義務と責任を果たして来たと言えるのか? 

また、その結果として自主的・主体的な生き方を見いだせていないとすれば、それを阻害し縛り付けているものを歴史的要因の中からも正して行かなくてはならないのではないか?

これらの問いは非常に深刻な意味を含み、本書は多額の補助金の交付を中心とした従来型の中央の沖縄関与の方法が、「基地の問題」とはまったく別の次元で沖縄をダメにし、交付する金員の意味を曖昧にしてやればやるほど、結果的に日本と沖縄を「別個の意識下」に置く事になる構造を明らかにしたものです。

無理にでも本書の難点をあげるならば、著者は普通一般の沖縄県人よりも沖縄の事を深く理解して在りながら、自身が沖縄県人ではないだけにいわゆる被支配層一般へ向けた責任の言及が少なかった事になるかと思います。
 

なお、「外連」(けれん)とは、簡単にいえば「ごまかし」、「はったり」、「いかさま」と言う意味だそうで、私はこれを膝を打って得心するほどに「当を得た表現」であると思い、

ほぼ全編にわたりその事例が十二分に実証性をともなって行き届いている事が特筆される点と思います。
 
本書が、(これまでの沖縄関連本を見ればわかるように)公平に論じられた本格的な類書もなく、土台となる先行した研究や評論もほぼ皆無の中で、飛び級的に問題の核心に迫る事が出来たのは奇跡的です。

それは、多種多様の「ニセ沖縄愛」を表明する知識人・言論人・マスコミ人・本土からの運動家らとは違い、長年にわたり好悪を越えた深い地点から沖縄の「酸い甘い」に浸り切って来た著者の経験からの結果からによるのだろうと思います。

それだけでなく左右いずれにも属さない立ち位置も必須条件であったし、沖縄取材において特に重要な事は「嘘つきたちの言う建前」からでも、「本音」を的確に拾い上げる悟性が必要で、筆者にそれが備わっていた点が大きかったと言えます。

■ 普天間基地跡地利用に関する経済効果評価書は「ウソのかたまり」
 
すでに良く知られるように沖縄県議会事務局が普天間跡地利用の経済効果を野村総研に依頼して、その結果の馬鹿げた数値を公表し日本中に恥を晒した事がありました。

そもそも一見して実にお粗末な代物で、県民なら誰もが「そんなハズはないだろう」と直感的に肌で感じられるものでした。

それでも議会が責任持って発出した数値だし、シンクタンクのネームバリューもあったのでしょう、この調査結果を根拠とした論説が本土でも多数出始めました。

しかし、財政学者でもある篠原氏が前作その他において徹底的にその問題点を指摘され、以来この調査結果を論拠に使う言論人は、イデオロギーに塗れた厚顔無恥の輩しかおらなくなりました。
 
このようなイカサマで恣意的な調査結果を得るために多額の税金が使われたのですから、県民は誰がどういう目的で、どういう前提を付して野村総研に依頼したか、その点を明らかにして責任を問うべきところでした。

しかし、そもそも県議会・県庁・知事・マスコミ総出の一丸となった「外連」だし、沖縄県ではこの手の「責任追及」は二紙が乗り出してこない限り望むべくもなく、そうした声はとうとう起こりませんでした。
 
この例の場合、保守も革新もその垣根はなく、「公」はともかく「民」も同調するような「一体性」を見せたは事は特に留意が必要です。

県議会がこうした欺瞞的な調査・発表を行った理由は、表向き「普天間の早期返還を促すため」ですが、それだけでなく各人各派の思惑は様々でした。

ただ、そこに通底する「補助金獲得に資する」ための共通了解は暗黙のうちに確固としてあり、それが全県的にあのような「ウソ」を平然とまかり通らせた原因だと言えます。

何事につけ暗黙のうちに「金づるとしての日本政府」を横目で見た、要するに日本を対位的視点から見る事を離れられず物事を捉える事、それをそうは見えないように宣伝と嘘でくるみ、そうする事によって利益を得る「身についた体質」がこの「外連」を行わせしめたと思うのです。
 
■ 沖縄は「優遇」されている
 
近年は本土の保守派を中心に「基地が在るからといって、沖縄県は優遇されすぎているのではないか?」という、きわめて健全で当然の疑念が発せられるようになりました。

こうした声を警戒する、反論となる沖縄県庁の公式見解はこうです。

≫「平成27度決算ベースで、沖縄県の国庫支出金は全国10位。
 地方交付税まで含めた国からの財政移転は全国12位。
 また、人口ひとりあたりで比較すると5位で、復帰後一度も全国1位にはなっていない。」
 と、します。

本土の有識者やマスコミ関係者など一般のリベラルな人たちは、一部本土保守派の論調に対し、この沖縄県庁の見解を口を揃えてなぞります。

しかしそれは無知とはいえ、明らかに沖縄県による「事実の隠蔽」にまんまと引っかかり、もしくはそれに意図的に加担する行為です。

この事は本書第7章で詳しく論じられているとおり、県による「沖縄への批判をかわすため」の詭弁にすぎません。

合算する必要のない地方交付税を合算し、高率補助や一括交付金の存在に一切触れもせず「沖縄県は特に優遇されているとは言えない」と言い抜ける事で、問題を顕在化させないように隠蔽・糊塗する念入りに工夫された「操作された論述」です。
 
沖縄県への優遇措置はそんなものだけでなく、酒税、揮発油税、航空機燃料税、石油石炭税、NHK受信料の軽減措置、別口の防衛省からの補助金事業等々、数え上げたらキリもありません。

しかし私はこれを「全て無くせ」などと言っているのではありません。

必要で妥当な政策ももちろん多いし、「米軍基地が存在する事の対価」である事が明瞭となり、そのうえで数量的な妥当性が国民的に認識される限りこれを容認する立場です。

しかし、こうした事実を隠して物事を運ぼうとする県の姿勢が「外連だ」という事は言わなくてはなりません。

本書によれば同種の沖縄県庁による統計上のトリックは、沖縄経済の基地依存度を5%とした点にも現れています。

これも事実上、基地が存在するがゆえ支払われている振興予算をすっかり除外する事による「意図的に操作された数値」だと言えます。

■翁長県政の目玉、法廷闘争

なお本書は第2章から約100P分にわたりこの2年半の翁長県政のイカサマぶりを克明に追っており、その解説としても記録としても秀逸です。

これにくらべて、これまで私が「ありんくりん」で度々書かせて頂いた沖縄県・翁長知事の馬鹿げた訴訟合戦とその法廷戦術についての解説は非常に分かり辛かったと反省しきりでして、お恥ずかしい限り。

本書では特段の法律知識がない場合でも、とてもわかりやすく時系列的に要点も簡潔にまとまっていて、もう私の多量の手持ちの資料も捨ててもいいかなと思いました。

ここで詳細は書けませんがご興味ある方はここをじっくり読まれる事で、その表出される言葉や行動とは裏腹に翁長氏がいかに愚劣なハッタリ屋か、司法制度を目的外利用し、果たして日本の司法そのものを汚し、いかに日本中に「沖縄の品位」を貶める所業を行ったか良くご理解頂けるものと思います。

あわせて、それならなぜ翁長氏はそういう愚劣な行動をとったのか? それを県民はやや容認しているように見えるのは何故なのか? と、考える所からこそ沖縄理解の端緒が開かれても然るべきだと考えます。

■沖縄の為に何をしてくれるのか?
 
 「お前はいったい沖縄の為に何をしてくれると言うのか?」、「いやなら米軍基地をすべて本土に持って帰れ!」等々。

このような言葉を当の県民から投げつけられたら、あなたならどうしますか?

答えを発する以前の問題として、そういう問いを臆面もなく投げつける事の出来る相手の傲岸にして恥知らずな人間性をまず疑うでしょうし、そのような異常にたじろぎ、ひるんで、かかわり合いになりたくないゆえに、黙してこれを遠ざけるようにするでしょう。
 
しかし、本土のリベラル系の知識人はじめマスコミ関係者や、自分勝手な正義を標榜する人たち、似非反差別者たちやネットスラングでいう「意識高い系」は違います。

彼らは狭小で偏頗な民主主義理解しか持たず出来ず、かつ浅薄で一面的な歴史理解ゆえ、機会主義的で自己拡大欲求を満たす事の出来る「お手軽な道具」として沖縄問題をあつかい、あるいは「長いものには巻かれろ」精神から深く考えもせずに、このような言質に簡単に迎合してしまうのであって、迎合しないまでも「一理ある」と簡単に考えてしまうのです。

まことに「軽い正義」であるとしか言いようがありません。

彼らは、そのほとんどが自己の利益のためにする目的なのであって、ニーチェが言う「同情する事によって至福を覚えるような、哀れみ深い人たち」でもあるのです。

こうした言葉を投げかけられるのは沖縄に多少の疑義を言う知識人達の宿命のようなもので、いわば「踏み絵」だし、被害者ヅラした人間が行う「被害者優位の論法」に立ったある種のマウンティング行為でもあります。

著者(篠原氏)もそうした洗礼を受けた例外ではありませんでした。

問題は、このような薄汚い言葉を実際に吐くのは運動家相当の人達とまず相場は決まっておりますが、言葉にせずとも「本土に何かをしてもらうのは当然だ」と、漠然と考える県民がまだ多くある事なのだと思うのです。

著者はそうした場面に遭遇するたびに考え、結果として「沖縄の心」とは都度公式に説明されるような「平和を愛する心」などでは決してなく、「愛されたい心」こそ「沖縄の心」なのだと確信するに至ります。

これもまた仮象の姿であり、「外連」の一節です。

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[ 2017年9月26日 ]

 

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