博多再興に吹いた"強風"平成の商業施設(キャナルシティ博多)はこうして生まれた
なんとなくモヤモヤしながら田上市政が進めるMICE施設計画が6月議会を通過はしたものの、相変わらず長崎市民に理解されたとは言い難い。
きょうは、長崎市議会の長老、浅田五郎さんのフェイスブックの投稿を紹介します。
(浅田五郎)
https://www.facebook.com/asada.goro?hc_ref=ART9DjL7bmH_IuYmPQiM1POZeE3Zgt5KEUCMlC-qjlYRJzUDKDVxo0gU7cjPNEGVq00&fref=nf
「この場所はマンションじゃだめだ」
博多再興に吹いた“強風“平成の商業施設はこうして生まれた。
キャナルシティ博多
今日の産経新聞を読み、平成8年4月20日運河と噴水を囲む「街」が誕生した。キャナルシティ博多が誕生したのです。
驚いたのは、マンション建設の地鎮祭も終わっているのにです。
この先を見据えた経営者のリーダーシップは勿論ですが、その先見性と決断には驚きです。
今記事を読みながら、博多の強風相手に長崎市が勝てるわけないです。
博多のMICE施設を考えてもこの博多に強風を吹かせた経済人相手に、350億の予算が最初のMICEの予算でした。
それが今では只々MICE施設を作りたいというだけで216億(土地代を含み)になっております。
キャナルシティ博多の場所は、鐘紡の紡績工場跡地で長崎市の幸町は三菱の跡地です。
そこにジャパネットたかたが500億の投資を決定して進出して来ます。長崎市は脳天気に棲み分け出来ると言っています。
JRの土地を、無理して税金での投資はしないで、ジャパネットたかたにスポーツと文化の拠点として長崎市の土地を提供するぐらいの政治感覚で市長職は取り組んで欲しいと思います。
長崎市の土地のある場所と幸町の三菱の土地は僅かな距離です。新幹線も、浦上駅に止まってもおかしくないのです。
博多と天神と合わせて面で発展を導くと現西日本シテイ銀行の当時の社長は述べたそうです。
浦上駅周辺と浜の町が面となることこそが長崎市の活性化の仕事でなくてはならないでしょう。
いずれにしても、今朝の産経新聞は、今長崎市が抱えている将来に希望を与えてくれる街づくりについて教えさせていただいた思いです。
今日がキャナルシティ博多(1)ですから楽しみに続けて読みます。次は11日水曜日に掲載予定です。