特集「岬の教会」
長崎新聞に特集として掲載されていた「岬の教会」を長崎市議会議員・浅田五郎さんがフェイスブックに投稿してましたので、紹介しながら、私の所見も少し述べさせて頂きます。
1570に大村純忠と長崎開港協定を結んだポルトガル(イエズス会)は1571年に中国のジャンク船を水先案内として長崎港に初めて貿易船として来航しました。
今から449年前のことです。
勿論、キリスト教布教という表の顔の裏に日本侵略という意図があったことも事実です。
時代は大航海時代です。
この時に大村純忠公が長崎を開港していなければ、今の長崎は違った街になってたでしょう。
勿論、長崎カステラも誕生してなかったし、長崎県の「長崎・天草・潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されることも無かったでしょう。
その時にポルトガル(イエズス会)は現在の大波止(文明堂の近く)の海岸に船を投錨し、旧県庁跡地の岬の突端にイエズス会の日本での拠点としてサンパウロ教会を建てています。
そこは祈りの場所であり、病院、行政の場でもありました。
岬に建つサンパウロ教会の鐘の音は長崎の街ににキリスト教という宗教だけでなく西洋の珍しい文明も運んできたのです。
浅田五郎さんのフェイスブックの投稿から紹介します。
浅田 五郎
https://www.facebook.com/asada.goro
特集「岬の教会」
今朝の長崎新聞の記事迫力がありました。
400年前県庁跡地に威容。
国内統括の一大拠点 長崎の文化・経済の中心
さらに日本イエズス会管区長元日本二十六聖人記念館長のデ・ルカ・レンゾ氏は、歴史上の重要人物埋蔵と1月に発表した論考「長崎のイエズス会本部とその影響」で岬の教会に置かれていた当時のイエズス会本部には、主要な会員を葬るための墓地がありそこに埋蔵された18人を紹介しているとあります。
また、県庁跡地の整備活用を巡っては、県と長崎市が廃止された市公会堂に代わる「文化ホール」などの建設を検討している。
県庁跡地を視察した日本考古学協会、は「建物を建てるかどうかは(遺跡)全面的に調査してから計画してほしい」と述べている。
九州考古学会埋蔵文化財保護対策委員もこの現場の調査に参加して「県庁跡地にも遺構が残っている可能性は十分ある」と述べています。
長崎市の公会堂を住民投票を否定して、これを急ぎ壊して、この歴史と文化の宝庫をことも投げに簡単に市長の後始末に県議会を無視しての文化ホール建設は県議会を愚弄しているとしか受け取れないのですが皆さんはいかがお考えでしょうか。
この跡地こそ、長崎県民の財産として人口減少に悩む長崎の大きく海外が認めている聖地を誇れる場所として生かして欲しいものです。
国際観光文化県長崎の名誉ある栄光を今一度長崎は取り戻す責任を県民等しく感じなければならない時ではないでしょうか。