アイコン 調子に乗りすぎ韓国選手団 選手村に李舜臣旗横断幕掲げる

 

韓国の大韓体育会(韓国のオリンピック委員会)は、日本に対して喧嘩を売っているのだろうか。
大韓体育会は、派遣した選手団が選手村に設置した「李舜臣」の横断幕を撤去した。
大韓体育会は、韓国民が反日の象徴としている「李舜臣旗」を掲げ、問題だと指摘されると、「東京五輪に臨む覚悟を込めた横断幕だ」と屁理屈や御託を並べ、14日に選手村内の大韓民国選手団の宿舎に掲出した。
この横断幕には、文禄・慶長の役当時の李舜臣将軍の言葉「尚有十二舜臣不死(=臣にはまだ12隻の船があり、私はまだ死んでいない)」に因んで「臣にはまだ5000万の国民の応援と支持が残っています」と書いていた。(前将軍から引き継いだものが12艘とされるが、全土からかき集め、海戦までには相当数が確保されていた。)
日本側から問題だと指摘されると大韓体育会は「日本で過度に敏感に受け止められているのではないかと思う」とこれまた屁理屈を述べている。

文氏が2017年5月大統領に就任して以降、韓国は積弊清算の一環として、国の息がかかる上部組織から末端の組織まで、すべて左派系がトップの座に付いている。左派系でも文氏に忖度しない人物はその後更迭されている。その代表格が統計庁の黄秀慶前長官であろうか。

<朝鮮水軍の李舜臣将軍とは>
慶長の役(1597年3月1日~1598年12月22日まで)、
李氏朝鮮王朝と豊臣軍が無条件撤退で合意し、豊臣軍は撤退し帰途していたところを、李舜臣将軍の水軍に攻め立てられ、隙を突かれた豊臣軍は苦戦、帰国途中の島津軍や立花軍が急遽、帰国できなくなった小西軍らの支援に戻り、最後の露梁海戦では豊臣軍は中国軍も大船団で李舜臣らに加勢したことから苦戦したものの結局、島津軍らは李舜臣と中国軍のナンバーの副将を戦死させ、最後の海戦でも勝利して帰国している。
(豊臣秀吉が亡くなったことから無条件撤退を勝ち取り撤退したものだが、李氏朝鮮に対しては完全に伏せられていた。明軍は参戦していたが、撤退する豊臣軍に対する海戦への大挙しての参戦はこの情報が漏れたものと見られている)

李舜臣は豊臣軍の一部の部隊に勝利したこともあったことから、韓国で英雄視されているが、結局、戦死している。
この最後の海戦も朝鮮を属国にしていた中国の明軍が大挙して加勢して李舜臣は戦いを有利に進め、帰国途上の豊臣軍に大きな打撃を加えたものの、回帰した豊臣軍により殲滅させられている。

2018年10月10日の韓国の国際観艦式において、大統領の座乗艦の揚陸艦「日出峰」の文氏の頭上にはためかせていたのが李舜臣旗であった。
文大統領は必ず、李舜臣旗やら亀甲船の模型を飾って外交団を迎えているが、「日本には2度と負けない」と2019年8月15日に宣言したことで拍車がかかっている。

李氏朝鮮王朝と豊臣軍が無条件撤退で合意を守らず戦い戦死した李舜臣同様、文大統領もまた条約や合意を守らず、守るまで相手にしないと日本政府が1年半に渡り無視続けているため、今度は困り果てているのが自ら種を撒き国内では反日のシンボルにしてしまった文大統領自身であろうか。
李舜臣そのものは王朝に逆らい更迭されたこともあり、また戦死したこともあり、はたまた、その直後の徳川幕府と李氏朝鮮王朝は友好関係を築いたことにより、当時は評価されず、韓国では僅かな記録しか残されていないが、中国や日本でも記録されていた。
日本が明治時代に入り朝鮮を植民地化する過程で、朝鮮の民族派が再評価し反日のシンボルとしたもの。現在の李舜臣の銅像は暗殺された朴正煕大統領が建立したもの。

なお、大韓体育会と密接な関係にある韓国文化体育観光部は7月11日までに同省のHPに表題「衰退する日本」をニュース形式で掲載し、批判を受け、修正している。
よほど、日本と喧嘩したいようだ。

日本の平家物語には、
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

0718_01.jpg
 

[ 2021年7月18日 ]

 

 

 


HTML Comment Box is loading comments...



※記事の削除等は問合せにて。

関連記事

 

 

 



PICK UP


破産・小口倒産一覧