「中村以外なら馬の糞(ウマンクソ)でもよか!」by谷川弥一


 


昭和33年2月の知事選で県議会議長として知事選に出馬し、西岡竹次郎知事の副知事として西岡県政を支えてきた佐藤勝也氏と知事選を戦い約6万票差で敗れたのが金子岩三氏である。
その金子岩三氏は昭和45年の2月の知事選で4期目を目指していた佐藤勝也知事に対し、「佐藤以外なら馬の糞(ウマンクソ)でもよか!」と言って、担いだウマンクソが、五島市三井楽町出身で当時は参議院議員だったクボカンこと久保勘一氏だった。
50年後の令和4年、谷川弥一と金子岩三氏の息子である金子原二郎が「中村以外なら馬の糞(ウマンクソ)でもよか!」と、吠えて担いで来たのが五島市富江町出身のドクター大石賢吾氏である。

いくら五島出身とはいえ、あの時の久保勘一氏は県議、参議員と十分過ぎる経験と実績があったし、人物としても申し分ない大物政治家だった。
それに比べて大石氏は医者としての経験だって浅いばかりか、大事な政治家としての経験はゼロであり、担いでいる勢力が谷菌族だから最悪である。
また、あの時の佐藤勝也氏も南島原市出身、中村法道知事も、また南島原市出身である。
これは良識と非常識の因縁の戦いでもある。
50年間続いてきた非常識な金子・谷川的長崎県政に引導を渡すことこそが無念の中で県庁を去って行った良識派の佐藤勝也氏への供養でもあり、長崎県が再生するためにも乗り越えなければならない中村法道知事の宿命の戦いなのである。

インタネット長崎奉行・遠山金四郎こと中山洋次