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福岡県糸島市にある弥生時代の遺跡「三雲・井原遺跡」から、当時、朝鮮半島にあった「楽浪郡」でつくられた土器10点あまりが新たに見つかった。

調査で新たに見つかったのは、紀元前1世紀から紀元4世紀にかけて中国の漢や魏が今の朝鮮半島に置いていた「楽浪郡」で造られた壺や碗などの土器の一部15点。

楽浪郡の土器は、当時の日本にはなかった窯焼きの技術が使われ、厚みが少なく色が濃いのが特徴。
この遺跡では、以前も楽浪郡の土器あわせて27点が見つかり、今回、約30年ぶりの発見となった。

紀元3世紀に、中国と日本の交流を記した「魏志倭人伝」には大陸から使者が、今の糸島市周辺にあったとされる「伊都国」に滞在し、交易品の検査などを行っていたと記述されていて、専門家は、さらに多くの土器が見つかったことで「伊都国」が、両国の交流の拠点になっていたことが裏付けられる。
 調査を指導した九州大学の西谷正名誉教授は、「生活のための土器が集中して見つかったことから、渡来人がここで生活していたことがわかる。当時の伊都国が国際色にあふれた国だったことが想像できる」と話している。
以上、報道。

魏志倭人伝:
⇒対馬国(長崎県対馬市)⇒一大国(壱岐国)(長崎県壱岐市)⇒末廬国(佐賀県松浦市)⇒伊都国(福岡県糸島市)⇒奴国(福岡市)⇒不弥国(?)⇒投馬国(?)⇒「邪馬台国の女王卑弥呼」(?)

姫神・「十三の砂山」