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太平洋戦争ただ中の1943年、兵器増産のため操業した三菱重工業長崎造船所の幸町工場(長崎市幸町)。爆心地に近く、多くの従業員が犠牲となった。

「長船(ながせん)」の県内4工場の中で最もJR長崎駅に近い市街地の一角で、長崎の変遷を見つめてきた「三菱マーク」は間もなく消え、新たな持ち主に変わる準備が進められている。

その手続きは、異例ずくめ。

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長崎県、市の誘致企業も入札参加資格

 三菱重工は生産集約のため幸町工場の本年度末での閉鎖を決定。
約7ヘクタールという広大な敷地を2018年度以降に売却するため、4月末から跡地の活用法と売却先を決める「公募」手続きをスタートさせた。

 本来は自由に不動産を売買できる民間企業。だが、あえて公募を行い
(1)まず跡地に関心があるか企業に意向を調査
(2)次にどんな事業が展開できるかアイデアを募集
(3)その上で募集要件を定め、あらためて事業者を募る
という3段階の入札を行う。
6月16日、第一関門の参加表明が締め切られた。応募状況は非公表となっている。

行政のような厳格な手順を踏むのはなぜなのか。
三菱重工広報は「幸町の立地や規模を最大限生かしてほしい」。同社発祥の地・長崎への配慮が透ける。
さらに、公募方針を決めた三菱重工社内の検討会には、長崎県と長崎市も加わり、協議内容は外部に口外しない「契約」(関係者)が交わされた。

公募要綱には、県や市が誘致した企業が進出を希望する場合は応札したとみなす、との趣旨の一文が添えられている。

平地の少ない長崎で、幸町は貴重な一等地。雇用の受け皿を求める県や市は、商業施設やマンション用地への特化には否定的。
市幹部は「民間の用地売却に行政が絡むのは異例だが、重視するのは当然。(要綱の一文で)行政も関与する機会を得た」と受け止める。
ただ、あるデベロッパーは、行政の関与は「三菱にとっても有益」とみる。売却先が決まらない場合の保険になるためだ。両者の思惑が交錯する。

幸町工場移転の青写真は、30年前に描かれていた。長崎県と市が1986年にまとめた「ナガサキ・アーバン・ルネッサンス2001構想」。
工場一帯を「24時間型都心の魅力を持った複合機能の業務センター地区」に生まれ変わらせるというものだった。
県は三菱重工本社に移転を掛け合ったが、けんもほろろ。元県職員の男性は「膨大な補償費が必要ですよ、と言われて帰ってきた」と振り返る。

現実味を帯びたのは3年ほど前。商船事業そのものを本体から切り離す大改革を招いた、豪華客船建造の巨額赤字が発端。
従業員の減少やグループ再編で、長崎での三菱の存在感はどんどん薄れている。そして、歴史ある工場の売却。
「現金がほしいんじゃないですか。きつかでしょうが」。
三菱関係者にはそう映る。

幸町工場から川を挟んだ対岸には、長崎造船所スポーツセンターの球場や渕町テニスコート、三菱重工体育館など三菱の古い厚生施設がずらりと並ぶ。今年1月、創部約100年の野球部は長崎を去った。
三菱広報は、関連施設の売却可能性について「社内の活動や地域の草野球でニーズが高く、予定はない」としている。
以上、西日本新聞参照
2022年には長崎新幹線が開業する。その基点の長崎駅から北へ600メートルしか離れていない。ただ、長崎市も長崎県も過疎化が進んでいる。新幹線開通で思惑とは逆に人口が減るケースもあり、こうした再開発は、人口減少の歯止めになる施設が求められよう。力があれば省庁の誘致はいかがだろうか。