アイコン 【投稿】坂本龍馬の人物像をめぐって

龍馬伝投稿者 = やじうま司馬遼フアン 

気になる坂本龍馬の人物像
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以下コピペ

日本国民の中の、戦後における龍馬の人物像を形成する上で最大の影響を持ったのは、言うまでもなく司馬遼太郎『竜馬がゆく』でしょう。この小説は確かに面白いです。『竜馬がゆく』を読んで坂本龍馬に興味を持つ人が多いのも、わかる気がします。
しかし、私が問題だと感じるのは、『竜馬がゆく』という小説はあくまで小説であって、そこに書かれていることのすべてが史実だというわけではないということを、わかっていない人が多すぎるということです。むしろ、『竜馬がゆく』には意図的なフィクションも多数書かれているのに、それに気付かず、『竜馬がゆく』の記述は史実に忠実なのだと盲目的に信じている人が多すぎます。
私は、歴史家あるいは歴史研究者が執筆した伝記・研究書・論文ですら、盲目的に信じるべきではないと思っています。何故なら、史実の追究を目指して書かれた伝記や研究書・論文にも事実誤認や史料の誤読などがありえますし、史料解釈において必ずしも納得できる説明をしてくれているとは限りません。だから、歴史家・歴史研究者によって書かれたものでも、盲目的に信じるのはよろしくないと思うのです。
史実を追究する研究者が書いたものですら簡単に信じてはならない、そのことは、フィクション(=意図的な嘘)が書かれている可能性がある小説は、なおさら盲目的に信じてはならないということにつながります。小説はいくら嘘を書いても構わないから小説なのです。

私は、坂本龍馬に興味を持つきっかけが小説や時代劇でも、それはそれで構わないと思います。でも、本当に坂本龍馬がどんな人物だったのか知りたければ、当時の史料を読まなければならないでしょう。坂本龍馬が書いた手紙や、龍馬の周辺にいた人々が書いた日記や手紙を読むのです。幸い、『坂本龍馬全集』や『龍馬の手紙』という本が出版されていますから。
自分の頭でしっかり判断することが大事です。でもとりあえず、小説と違って意図的なフィクションは歴史家の本や論文にはないと考えておいてよいと思います(例外はありますが)。
しかし、どうも龍馬に興味を持つ人には、歴史家が書いた伝記や研究書・論文には関心を抱かない人が多いようです。むしろ、歴史を学問的に研究している人々(=歴史家)の言うことより、歴史を学問的に研究しているわけではない人々の意見に耳を傾けることが多いような気がします。
そういう人は、巷に溢れている龍馬関連書籍やテレビから流れてくる龍馬情報を、鵜呑みにするケースも少なくありません。それらの情報が、歴史家(=歴史を学問的に研究している人々)の主張と食い違っていても、問題ないようです。

箱石大氏は、次のようなことを述べています。
諸先学の成果を批判的に継承し、フィクションとしての現代的龍馬像を克服して新しい龍馬の実像を追求することは、同時に明治維新史像の再構築を志向することにもなるだろう。そして、マス・メディアにおける龍馬像のあり方についても、これが国民の歴史意識の形成に重大な影響を与えている以上、今後も無関心ではいられないのである。(『歴史評論』第530号、52ページ)
マスメディアが国民の歴史意識の形成に大きな役割を果たしているからこそ、あまりいい加減な内容の本を出したり、変な内容の番組を流したりしてほしくないんですよね。もちろん、そういう変な内容の本や番組を盲目に信じる人も減ればいいなぁと思います。

[ 2010年5月 6日 ]
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