アイコン 長崎県新庁舎移転計画に思う。3章(建築ジャーナルより)

”水攻め”の危険あふれる埋立地移転に防災とまちづくりの視点で再考を

鮫島和夫!長崎住まい・まちづくりトラスト代表

建築ジャーナル日本の文明開化の窓口となった長崎・出島の奉行所として開設された現在の長崎県庁舎。
その新庁舎計画で東日本大震災により喚起された防災意識を無視するように、長崎港臨海部の埋立地への移転計画が強硬に進められている。

これに対し地元商店街を中心にして反対運動が沸き起こったが、行政側の強硬姿勢に尻すぼみ状態となっている。しかし果たして県庁移転は「妥当な計画」だっ たと言えるのか。元長崎総合科学大学教授で今春まで長崎市の都市計画審議会会長を務めた鮫島和夫氏がその根本問題を指摘する。(46ページに関連記事)

防災の視点からの問題点

①立地の適切性:災害履歴のない場所の選定を

南から北に抜ける長崎港は台風の通り道、魚市跡地はその先端にある。
1982年7月23日の長崎豪雨災害で、魚市跡地一帯は1mほどの冠水被害を受け、1991年の19号台風では、市内の屋根がブルーシートの青に染まっ た。長崎駅から北に続く平坦な一帯は、明治37年(1904年)に埋築が完了した埋立地である。この1年以内だけで立地が適切であるか、代替性は確保され ているか、既存の防災システム・拠点施設を有効活用できるかなどの視点から総合的に判断して、現庁舎およびその周辺の方が魚市跡より防災性の点で優れてい ることは明らかである。・・・4章につづく

[ 2013年5月12日 ]
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