アイコン 長崎は、人を育てる土壌があった!

投稿者 = 長崎人でよかった・・・

孫文

盟約にて成せる
 (2010年8月19日付)

 「革命、未(いま)だ成らず」。近代中国誕生を告げる辛亥革命(1911年)を成し遂げたものの、その革命が無残に崩壊していくさまを嘆いた孫文は、こんな無念の言葉を残して25年に病死した▲4年後、孫文国民葬が、世界各国代表も参列して盛大に催された。そのとき、柩(ひつぎ)を担ぐ人の中に、一人の日本人の姿があった。長崎出身の梅屋庄吉である▲孫文とそれほどに親しかった梅屋。出会いは葬儀の34年前にさかのぼる。香港で写真館を開いていた梅屋を孫文が訪ねて来て、革命の理想を語り、支援を求めた。意気に感じた梅屋は答えた。

「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」▲約束通り、梅屋は事業で得た巨万の富を提供し、孫文を支え続けた。にもかかわらず、梅屋の事績は、あまり知られて来なかった▲孫文支援の理由を「盟約にて成せる」と説明していた梅屋が、遺言で資料公表を禁じたからだ。「男と男の約束を守ったまでのことだから、口外するには及ばない」。そんな思いだったのかもしれない▲時は流れた。もう、誇らしい事績を隠す必要はない。そう考えた遺族が資料公表に踏み切った。その資料を基に、24日から上海万博の日本館で「孫文と梅屋庄吉展」が開かれます。二千年にわたる王朝支配に終止符を打ち、今なお“中国の国父”と呼ばれ尊敬を集める孫文。その孫文と革命達成の盟約を結び、生涯裏方として奔走した男がいました。後に日活(日本活動写真株式会社)の創業者のひとりとなる梅屋庄吉です。(中略) 辛亥革命から約100年、梅屋の口述筆記や梅屋が撮らせた辛亥革命の貴重な記録映画などの事実を積み重ね、日中の友好を希求した一人の日本人の生涯を描きます。」

是非長崎展の開催を希望したいと思います。
 

[ 2010年8月20日 ]
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