アイコン 長崎県政が大きく変わろうとしている。

金子原二郎

4月25日、24人だった自民党長崎県連は3派に分裂した。

先手を打ったのは前知事で現在は参議員である金子原二郎氏と、その親戚(長女と長男が結婚)で衆議員でもある谷川弥一に近い14人の県議集団が自民党清風会の会派届けを提出したところから分派騒動は始まった。

この時点では新会派が14人で主流をなし、残りは10人となり、勝負あったかと思われた。これで今後の4年間も金子、谷川氏の強い影響下で長崎県政は進んでいくものと誰もが思ったはずである。

しかもこの後、金子、谷川一派は止めとも思われる強烈な一手を打った。加藤派4人の分派工作である。加藤氏と金子、谷川は本来なら合流はありえないし、加藤氏と金子、谷川が直接談合したとも思えない。おそらく、金子、谷川に近い砂屋(有明商事・中村一樹社長)の意を受けた弟の中村和弥氏が議長のポストを餌に加藤氏を懐柔したというのが妥当な見方である。これで18人、そこに公明党の3人を加えれば21人は確保できた。本来ならこれで勝負ありだったはずである。しかし県議会の総数は46人、過半数は23人、過半数まであと2人足らない。、4期目で中堅の中山功氏、新人の小森明人氏への一本釣り攻勢が激しさをましたのは想像通りだろう。

24人いた、自民党から18人が分派し、残ったのは6人である。中山功氏、小森明人氏の心情は十分に察せられた。しかし、中山氏、小森氏は揺さぶりに動じなかった。あと2人の確実な展望が金子、谷川一派には無かったわけである。これが今後の金子・谷川両氏の運命は勿論、長崎県を変えることになる。

[ 2011年5月11日 ]
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