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戦国時代の16世紀に初めて「黒人のサムライ」として活動した「弥介」(生没年不詳)という人物が、歴史・文化商品としてクローズアップされている。
 米国CNNテレビは20日、「2020年東京オリンピックを前に日本の多文化史が再評価されている」として、弥介のケースを紹介した。

日本大学のトーマス・ロックリー専任講師は最近『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』という伝記書を出版し、ベストセラーになった。
ハリウッドでは『ヤスケ』という映画を製作することになり、『プラックパンサー』の主演俳優チャドウィック・ボーズマンが主役に決まったという。

 弥介は、天下統一の基盤を固めた織田信長(1534~82)の側近の中で唯一の外国人だった。弥介は、アフリカのモザンビークもしくはスーダン出身で、幼いころから奴隷兵士として育てられてきたと推定されている。
奴隷貿易の拠点だったアラブとインドを経由し、ポルトガル人宣教師の警護役として1579年に京都へ入ったと記録にある。
黒人を初めて見た信長は、身の丈6尺2寸(約188cm)の弥介を豊穣の神「大黒天」と考えて宣教師から献上を受け、さらに「肌の墨」を落としてみようとしたという。

信長は当初、弥介を道具持ちとして使っていたが、弥介が西欧式の戦術に明るく、かつ日本の剣術・武芸や日本語もすぐに習得するのを見て、わずか2年で侍の称号を与えた。

弥介の存在は、信長に抵抗する競争相手や忍者にとって恐怖の対象になり、実際に幾つか武功も立てている。
 
外国の文物に多大な関心を抱き、開放的な人物だった信長は、弥介に家と奴隷を与えて、重用したという。

信長が明智光秀に裏切られて「本能寺の変」(1582年)で切腹した際には、自らの首と刀を息子に渡すことを弥介に任せたという。
弥介は、自分を再び奴隷として売り渡そうとする光秀を避け、一時は主君のいない「浪人」として流れ歩いたと伝えられている。
 
CNNは、ロックリー講師の話を引用して「弥助が活動した当時、九州地方にも朝鮮人や中国人、欧州人、インド人など外国人が大勢暮らしていた」と紹介し、これらの外国人が能力を発揮して自由に暮らせる雰囲気があったと伝えている。
以上、報道参照

魏志の倭人伝時代には那の国(現在も「那の津」という地名がある)、博多は商人の町として古くから大陸との交易地として栄え、鎖国政策の江戸時代以前は、自治都市として外国人も居留する商業都市として栄えていた。