
長崎ミュージアム振興財団・理事長・金子原二郎が大石県政から毎年受け取る指定管理代、3億6千万円がどのように使われているのか県民は知らない。

「開示」という行為が、なぜこれほどまでに重いのか
公文書開示請求は、対決の手段ではない。
本来それは、行政と県民とをつなぐ最も静かで、最も基本的な民主的装置である。
令和8年1月5日、長崎県庁・県民センターに提出した公文書開示請求は、
誰かを告発するためのものではない。
ただ、「説明されてこなかった事実」を、事実として確認するためのものである。

6.なぜ「設立時」が問われるのか
今回請求した文書の核心は、次の一点に集約される。
長崎ミュージアム振興財団・理事長・金子原二郎は、どのような経緯で設立され、誰が、どの立場で、その意思決定を主導したのか。
公益財団法人において、設立時の理事長・理事構成・県の関与の程度は、その後の運営の「遺伝子」を決定づける。
ところが現状、
・設立時理事長
・設立時の県側関与文書
・指定管理者選定との接続
これらが、県民に対して体系的に説明された形跡はない。
これは「昔の話」ではない。
現在進行形の指定管理と公金支出の正当性を測る、出発点の問題である。
7.「書いていない」のか、「出せない」のか
行政文書が開示されない理由は、大きく二つしかない。
1つは、「そもそも存在しない」場合。
もう1つは、「存在するが、出せない」場合。
前者であれば、制度設計そのものが問われる。
後者であれば、なぜ出せないのかが問われる。
いずれにせよ、「分からない」「確認できない」という状態が、20年近く放置されてきたこと自体、金子原二郎氏が院政を敷く大石県政の異常さである。
文化行政の世界では、説明責任は往々にして「専門性」という言葉で曖昧にされる。
だが、税金の流れに専門家特権は存在しない。
8.沈黙が生むのは、信頼ではなく慣れである
この構造の最も深刻な問題は利益相反に県民が「慣らされてしまう」ことだ。
・毎年、淡々と更新される指定管理
・大きな問題が起きていない、という説明
・文化だから、という空気
しかし、民主主義において最も危険なのは、
対立ではない。
無関心と黙認である。
問いを立てない限り、
構造は「当たり前」になる。
9.次に問われるのは「誰が決めたのか」
今回の開示請求によって明らかになるのは、単なる人名や日付ではない。
・誰が提案し
・誰が了承し
・誰が最終判断を下したのか
その積み重ねである。
もしそこに、政治と行政と公益法人が明確な線引きを欠いたまま重なっている実態があるならば、それは違法でなくとも、
県政として説明不能な状態だと言わざるを得ない。
10.開示の先にあるもの
公文書が開示されたとき、それで終わりではない。
むしろ、そこからが始まりである。
・指定管理制度は本当に競争性を持っているのか
・人事は適切に検証されているのか
・政治的影響力から距離を保てているのか
それらを検証するための材料が、ようやく揃う。
文化を守るとは、
沈黙を守ることではない。
問い続けることこそが、公共文化の最低条件である。
住民監査請求は必須である。
(つづく)
JC-net・日刊セイケイ編集長 中山洋次