日赤長崎原爆病院 現在地で建て替えへ
日赤長崎原爆病院(長崎市茂里町3番15号)は17日、平成31年5月までに現在地で病院を順次建て替える方針を明らかにした。
当病院は被爆者医療を目的に昭和33年5月に開設され、57年11月に片淵町から現在地に新築移転した。まだ築後30年しか経過していないが、施設が狭く、耐震性にも乏しく、災害時の医療提供に支障を出すおそれがあることから建て替えを決定したもの。
新病院では、被爆者医療の継続を柱に据え、緩和ケア病棟(ホスピス)や集中治療室(ICU)を整備し、がん治療や救急医療などの体制充実を図る。
現建設場所については、JR浦上駅の隣接地という現在地の利便性の高さを重視。それに加え、新たな土地購入費の捻出が困難なこともあり、同じ場所での建て替えとなった。
当病院を巡っては、利権派の国・県・市会議員たちがうごめき、ほかの病院と統合させ、長崎駅の再開発区画整理事業地に移転新築させようと画策していた時期があった。しかし、画策むなしく、当該のほかの病院は既に移転して建て替えられた。
日赤病院は、今回の現地での建て替え決定はこうした利権派議員たちに巻き込まれない最善の方法だろう。こうした病院は東京で入札により建築会社を決定することから問題ないと思うが、東京にはいっぱい長崎の議員さんたちがおり、建築利権で蠢くことになろう。決定するゼネコンにとっても厄介な人たちだ。
[ 2013年4月24日 ]
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