アイコン 長崎県新庁舎移転計画に思う。

長崎新県庁のサムネイル画像江戸時代から長崎奉行が置かれ、長崎のシンボリックな場所というだけでなく、高台にあるために防災の面からも非常に優れた場所として長く長崎っ子に親しまれてきたのが現在の長崎県庁がある江戸町の丘である。

その長崎県庁をわざわざ低地の魚市跡地に移転するというから呆れてしまっている。

長崎県の100年の大計を顧みない利権屋どもの遇巨以外の何者でもない。

山のキジ鳥は「ケ~ン・ケ~ン」と鳴くが、数年前まで長崎県知事をしていた金子某氏が「イテーン」「イテ~ン」と泣いたり「リケ~ン・リケ~ン」と泣いて たのは長崎県発注の漁業取締船を県外企業を完全に排除して、10億円近くは高いと指摘されていた県外企業(広島県・瀬戸内クラフト社)に県議会の意見を無 視してまで発注したことで証明されている。

最近、県庁移転について建築ジャーナルに「鮫島和夫・長崎住まい・まちづくりトラスト代表」を読んだが、まさに正論である。長崎県民は勿論、県庁職員、県議会議員の皆さんにも是非、読んでいただき、魚市跡地への県庁移転が長崎県政最大の愚挙だと思い知るはずである。

今日から「建築ジャーナル」の「長崎県新庁舎移転計画」から抜粋して掲載させて頂きます。

「東日本大震災の反省を都市計画に生かせ」(建築ジャーナルから抜粋)
東日本大震災は、近代とりわけ20世紀後半以降の都市開発に深刻な反省を迫り、人知の至らなさを再認識させた。臨海部埋立地など低平地への過集積、人口や 諸機能の一極集中・効率主義がいかに脆弱で、安全と安心を後景に押しやった開発思想であったかをあらわにした。・・・・②につづく

[ 2013年5月 7日 ]
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