アイコン 回顧録「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」上梓のご案内

平成28年3月28日
日刊セイケイ・中山洋二

回顧録「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」の上梓のご案内

高知若い頃、私は挑戦的に物事に取り組む事が多く、親、兄弟、先輩、友人に「身の程を知らない」とか「分をわきまえろ」とか「身の程を知れ」とか随分と言われたりしたもんです。ですからその分、他の人よりも若干苦労が多かたったような気がします。

今思い出すと随分と無茶もしたもんです。その分だけ、色んな事を経験できたし、多岐に亘って色んな人との出会いもありました。殺されてもお付き合いはご免な さいと思うような人間との出会いもあったし、死ぬまで付き合っていきたいと思う人との出会いもありました。 また多くの人に迷惑をかけてきたんだなと自戒し、心からお詫び申し上げます。
 
 また、とんでもない事件にも遭遇しました。平成15年10月24日に逮捕された「石橋昭事件」、平成19年5月19日に県庁で湯呑を割ったとして逮捕さ れた「湯呑事件」、それに平成22年12月1日には怖かったとして逮捕された「怖かった事件」と、3度の逮捕を経験し、通算で132日という普通の人では 経験できないような拘禁生活も体験させて頂きました。

私も還暦を過ぎ、年齢のせいでしょうか、最近は少しだけ「身の丈を知る、分をわきまえる、身の程を知る」ということを考えるようになりました。私のことで 家族や仲間には随分と肩身の狭い思いをさせてきました。嫁、娘(二人)、息子(二人)、孫(9人)、仲間たちが私の事で悪く言われることは親として忍びないという思いから、こども達や孫達が少しでも胸を張って生きていければとの思いで今回の回顧録の筆を起こす決心をいたしました。私の行動 には私なりに歪な権力と闘うという、私なりの正義がありました。

 「正しきを行いて、何をか恥ずべきことあらん、法は力にして正義にあらず。天道に恥ずべきことなくば、天、自ら我を導く」。

 私が誰よりも尊敬し、憧れた安藤昇さんの言葉です。安藤さんは昨年12月18日に亡くなられましたが、私は安藤さんのこの言葉を肝に銘じて平成11年 11月30日、日刊セイケイを発刊しました。安藤さんのようにかっこよくは生きれませんでしたが、この言葉は私にとってかけがえのない道標べでした。

 日刊セイケイを発刊してもうすぐ17年が経とうとしてます。平成19年6月3日、長崎県議会・三好徳明議長の議長就任の宴席に私が出席していたとして長崎新聞にはボロクソに書かれました。お陰様で「特殊知能暴力集団」との有難くない役職まで頂戴いたしました。長崎新聞社(当時の小川完二専務・現在は大村ボートの 競艇大好き局長さん)の悪意に満ちたキャンペーンには辟易すると同時に湯呑茶碗を投げつけてやりたいほど強い怒りを覚えたもんです。更にはクズの民主党県連からまで三好議長への辞職勧告が提出されるなど今でも三好県議には申しわけなかったとの思いでいっぱいです。

 そんな恥ずかしいことのみ思い出される私の人生でしたが、これまでの人生の自戒の念と、これからの精進という観念から一念発起し回顧録「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」(長崎に権力と闘った男がいた)を上梓することを決意いたしました。

 「日刊セイケイ斯ク戦ヘリ」を上梓するにあたって特筆する話題といえば長崎地検の次席検事だった郷原信郎氏が手がけた「自民党長崎県連幹事長逮捕事 件」、金子原二郎元知事(現参議院銀)との思い出になってしまった長崎県発注の「漁業取締船入札事件」は住民監査請求から、弁護士抜きの本人訴訟での住民訴訟までエスカレートしました。結果は却下でしたが、私の権力と闘った特筆すべき一項でした。長崎県の最高権力者・谷川弥一代議士には非礼なことばかり書いたような気がします。今となっては懐かしく思い出されます。その中でも思いで深い出来事から選んだ記事を添削し、より楽しめる一冊に仕上げたいと思っております。ただ、現在も政財界で活躍されてる関係各位には多少の配慮はしながらも、記憶と記録に忠実に誠心誠意、筆を運ばせて頂きたいと思っております。また、登場する企業や個人には真実を読者に伝えると言う観点と個人情報との絡みもあってできるだけ丁寧に本人にも取材させて頂くつもりでいます。前 もってご案内を致しますが、面会が叶わなかった場合は独断で筆を走らせて頂くことをご承知ください。これは同時に私の恩師であり恩人でもある故元農水大 臣・松岡利勝先生に捧げる回顧録でもあります。「日刊セイケイ・中山洋二 拝」

中山洋二

[ 2016年3月28日 ]
 

 

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