アイコン 旧鎮西学院中学校、歴史は語りかける

長崎に原爆が投下された時、爆心地から500メートルの近さにありながら、一部が残った旧鎮西学院中学校の建物。当時の建物だが耐震性に問題があるとの理由で、現在の所有者である活水学院が取り壊そうとしている。 

長崎市は、この校舎を原爆の歴史を伝える建造物に指定しているが、保存は義務づけておらず、ザル指定となっている。所有者の活水学院は「敷地が狭いので、そのまま残すわけにもいかず、場所を移しての保存も経営的に無理な状況だ」と取り壊しの理由の御託を並べている。
 被爆者の中島正徳氏も「長崎は広島に比べて、被爆の証拠を残している場所が少ないので、取り壊しは残念だ。長崎市が、保存のために対応しなければいけないと思う」と、報道機関に述べているが、年齢からか積極的な発言には聞こえない。


活水学院は地震が心配ならば、早急に寄付金集めをすればよい。市民・県民・国民の浄財を活水学院の生徒たちに、平和教育の一環として保存運動の署名と寄付金集めをしてもらえばよいのではないか。機会を提供したら自主的に行う生徒が必ず現れてくれるものである。活水学院の教育方針の中に「愛と奉仕の精神を身につける」という一説がある、生徒は保存活動の中でいろいろな愛に包まれようが、何よりも崇高な教育ではなかろうか。また、活水学院は、当該学び舎で授業を受けた卒業生も多々いる、卒業生からも愛に包まれた浄財が頂けるかもしれない。
活水学院も130年の歴史があり、長崎と共にある。現状のように何も働きかけず、「耐震性に問題があるから取り壊します」では、あまりに情けなく、歴史を刻む活水学院の言動ではないと心得る。
問題は現在の学長と理事長にあるのだろうか? 取り壊す方針のようであるが、当該建物の歴史が語りかける重みを活水学院の経営者(敢えて)は感じないのだろう。

もしも移転ともなれば、平和のシンボルとして新県庁舎予定地内の一角に移転させようではないか。県知事殿も喜んで賛成していただけるはずである。

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[ 2009年7月 8日 ]
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