アイコン 第11大栄丸引き揚げ、届いた遺族の願い

第11大栄丸既報の通り、4月15日強風の中出航させられた第11大栄丸は虚しく沈没、12名が帰らぬ人となった。しかし過去同じように沈没した第7蛭子丸の遭難と違い遺族が立ち上がり、懸命の署名活動を展開、20万人超の署名を集め、大臣へ引き揚げを直訴へ、石破農林水産大臣も血の通った大臣であり、頬っぺたを赤くして引き揚げの要請を受けたと思われる。

引き揚げ決定は、7月22日山田修路水産庁長官から県知事に伝えられた。引き揚げ会社は、日本で一番沈没大型船の引き揚げの実績がある深田サルベージが担当することに決定、同社は改めて調査していたが、引き揚げに問題なく可能と結論、8月19日それも船体をそのまま洋上の台船に引き揚げると発表した。特別なことがない限り船の中の乗組員(船室にいた)は、12名全員、家族のもとに帰る日は近い。


遺族の方は、事故当時、農林水産省の近藤副大臣が現地見舞いに訪れ、引き揚げると発言、その後海上保安庁の役人が副大臣の発言を撤回するという異常事態に翻弄された。
地元の平戸市も長崎県も引き揚げについては沈黙を続け、頼りにならぬ地元の役所に失望した遺族は、署名活動を展開、20万人超の署名を集めマスコミも大きく報道、県議会も重い腰を上げざるを得ない状況を作った。そうした遺族・署名者の願いが通じ、船体引き揚げを実現させる。国が引き揚げ費用の殆どを負担する(県も支出予定)。(「民間船の場合、航路とか防衛上問題のない海域での民間の沈没船の引き揚げは、国は行えません。それを可能にするのは遺族や支援者による国を動かす盛り上がりです。」・・・近藤福大臣室秘書官の話、取材内容を当ページで既報済み)

引き揚げ会社は、当初、海に沈んだ第11大栄丸の調査をした日本サルヴヱージではなく、実績と力量を持つ深田サルベージが引き揚げを担当することに決り調査に入っていた。
当JC-NETでも当初から、実例を示し深田サルベージだったら簡単に引き揚げられると報道してきたが、その通りとなった。

遺族にとって、家族が引き揚げられたら改めて悲しみは増すばかりであろう、しかし遺族は「家に帰してやりたい、ゆっくり家で眠りにつかせてやりたい」との一念であった。それも実現する日が近い。

今回の第11大栄丸(135t)の引き揚げ、次に残るのが第7蛭子丸(80t)(両船とも平戸市生月町舘浦漁港が母港)。
1993年2月21日未明、帰港中に三角波に襲われ宇久島沖で第7蛭子丸は沈没した。乗組員20名のうち19名が今も120mの海の底に船体と共に眠っている。
第7蛭子丸の所有者は、金子長崎県知事の実兄が経営(当時)する金子漁業。悲しいかな当時は、国への強い働きかけもなく、遺族の署名活動もなく、マスコミも事故当時は報道したものの、その後は殆ど報道もせず、時の流れに海の底の乗組員は見捨てられてしまった。しかし、極一部のマスコミ等は必ず引き揚げられる、引き揚げようと懸命な報道を続けている。しかし、肝心の遺族は船主側から多額?な見舞金の支払いを受け、何を約束したのか遺族は誰も口を開かなかった(追跡取材者の話)。遺族は今だ口を開いていない。
2003年2月の10周忌の洋上慰霊でも、唯一参加を表明していた唯一救助された乗組員も無言?の圧力で前日になって参加を取り消すという経緯もあった。
今でも遅くない。第7蛭子丸の乗組員は、第11大栄丸の乗組員と同じ生月島(隠れキリシタンの島として有名)、深田サルベージだったら第7蛭子丸の引き揚げは絶対できる。
今回遺族の署名活動で第11大栄丸は引き揚げられる。時代は変わっているのである。

第7蛭子丸の遺族の方へ、
もう一度、海に沈む親・兄弟・息子を家に帰すよう世の中に働きかけようではありませんか。

JC-NETは、微力ながら応援し続けます。

ご意見お待ち申し上げます。
 

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[ 2009年8月21日 ]
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