アイコン ダイエーホークスの大越率いる早鞆高校が選抜出場 頑張れ!

大越基監督3月に甲子園球場で開幕するセンバツ高校野球に早鞆高校が初出場することが決定した。山口県勢のセンバツ出場は3年ぶり。
下関市にある早鞆高校では、午後3時40分ごろ、林洋一郎校長にセンバツ出場が決まったことを知らせる電話が入った。
このあと林校長が体育館に集まった野球部員に出場が決定したことを伝えると、部員たちは肩を組んで大声をあげたり、監督を胴上げしたりして、喜んでいた。
早鞆高校は、140キロ台の速球が持ち味の間津裕瑳投手を中心に、チーム一丸となった粘り強いプレーで去年秋の中国地区大会ではベスト4に進出した。

 

センバツ出場は、今回が初めてで、春夏あわせた甲子園への出場は今回で4回目。

大越基監督は、宮城県七ヶ浜町出身、仙台育英学園高校のエースとして、第71回夏の甲子園大会の決勝で力投した経験を持つ、「被災地の人たちを、勇気付けるようなプレーを見せたいと思います」と話している。
  宮崎竜之介主将は、「夢の舞台で、1回でも多く戦えるようあすからまた練習に励みます」と話している。
  84回目を迎えることしのセンバツ高校野球は、3月15日に行われる組み合わせ抽せんで対戦相手が決まり、3月21日に甲子園球場で開幕する。

<ダイエーホークス大越選手=早鞆高校野球部監督>
早稲田大学中退後、アメリカに渡り、マイナーリーグ1Aのサリナス・スパーズに入団。11試合に登板した。
1992年秋、日本野球機構のドラフト1位で福岡ダイエーホークスに入団。1996年、俊足と強肩を買われ、投手から外野手に転向。
以後、ケガに泣かされるも、主に守備要員・代走として1999年、2000年、2003年のチームのリーグ優勝に貢献。代走では投手出身の経験を生かし、投手心理を巧みに利用した走塁がチームに勝利をもたらすことが度々あった。
2003年の日本シリーズにも出場したが、その直後に戦力外通告を受けた。千葉ロッテマリーンズの入団テストを受けたが不合格となり、現役を引退。
引退後は、教員免許取得のため引退直後から大学入試の勉強を開始。2004年4月、山口県下関市にある東亜大学総合人間・文化学部(現人間科学部)に入学。当初は中退した早稲田大学の編入試験を受験しようとしたが、「受験資格は退学後7年以内までの者に限る」という規定のため諦め、早大時代に取得した単位を認定してくれる等の理由で東亜大学に編入。社会人チーム「北九州市民硬式野球クラブ」のヘッドコーチも務めた。
2007年4月、早鞆高等学校(山口県)の保健体育の教員に。2009年5月、日本学生野球協会から高校の指導者として認定され、同年7月から早鞆高校の野球部監督に就任。 2012年1月、早鞆高等学校野球部が第84回選抜高等学校野球大会に選出された。
早鞆高等学校・大越監督 出場おめでとう。(ダイエーホークスファン)
 

[ 2012年1月28日 ]
モバイル
モバイル向けURL http://n-seikei.jp/mobile/
スポンサードリンク

コメント

関連記事

  • この記事を見た人は以下も見ています
  •  
  • 同じカテゴリーの記事です。
  •   
サイト内検索