アイコン 福岡市の保育園移転問題 天下りとの関係 路線価の3割増で購入

福岡市の中央保育園の移転予定地となっている(福岡市中央区今泉1丁目420、 424-1)は、リーマン・ショック前にホテルが建設される予定で売買されていた物件と聞く。北九州市の不動産会社が取得していたが、サブプライムローン 問題から、東京の会社によるビジネスホテル建設案は頓挫、自社で賃貸マンションを開発するにしても、当時、金融機関が融資するような状況ではなくなってお り、駐車場としてこれまで利用されてきた。
リーマン・ショック前は、若者の町大名・西通りが持て囃され過ぎ、地価も家賃も高騰、若者の町大名の再現地区として、当時は過去のエロさから開発が遅れていた今泉が脚光を浴びた。しかし、多くの若者が行き来したリーマン・ショック前の面影はなくなっている。

元々、今泉地区は、天神地区の連れ込みホテル街として存在、その入口の国体道路沿いには東洋ショーというりっぱなストリップ劇場が存在したところであった。その歴史の流れから、いまだ多くのファッションホテルが残っている。
保育園移転予定地前の一方通行の道路は、狭いものの、国体道路への抜け道としてけっこう交通量が多く、信号による渋滞で皆イライラして運転している場所である。一方通行の逆方向である南の方には至近距離で今泉公園があり、一部一方通行ながら道路は広くなっている。そのため、この一方通行に車が集まってくる。
当地一帯は、空襲にもあわず、再開発も行われず、道路が狭く、狭い一方通行が地域一帯に張り巡らされている。 保育園移転予定地前の一方通行こそ、国体道路へ抜ける道として、いろいろなところから集積してくる道路となっている。タクシーさんの抜け道としても利用されている。
  そうした危険な、避難道もない、大通り裏側の怪しいファッションホテル街の一角に、中央保育園を移転させるという女性に優しい福岡市の高島市長さんである。

<酒井勇三郎氏の略歴と保育園移転予定地>
2000年4月、福岡市環境局長就任。
2002年4月、港湾局長就任。
2005年1月、ケヤキ事件から博多港開発志岐社長辞職、急遽、博多港開発の社長に就任
2010年6月、社長退任、相談役に就任

2011年5月、福岡市、老朽化した中央保育園の移転候補地として当地を選定、調査することに決定。土地所有者は北九州の不動産会社。

2011年6月、酒井勇三郎氏、博多港開発の相談役退任
2011年7月、酒井勇三郎博多港開発元社長、福住に天下る。
2011年7月26日、福岡市「市政運営会議」で、当地を移転地として内定。
2011年9月1日、福住が当地を北九州の不動産会社から購入。
2011年11月、福岡市、福住に対して土地の売却依頼を申出。
2013年4月、当該地の売買契約書を福岡市と福住が締結した。契約額は8億99百万円。

購入額:8億99百万円、面積1,470㎡、1平方メートル当たり61万1千円。
因みに、路線価は47万0千円(平成24年、25年変わらず、平成23年版は49万0千円)
路線価から見れば、福岡市は路線価の3割増で購入している。
 巷の報道では福住が当不動産を購入した額は7億7千万円とされており、路線価で算出すれば、6億9千万円となり、将来転売価格が分かっていたのかプレミアム付となっている。その後、福岡市が不動産会社の福住から購入した代金8億99百万円は、短期での売買であり、何か何か何か腑に落ちないものがある。

福岡市が、高島宗一郎君がいくら御託を並べ、ウソも方便とばかり講釈垂れても、世間様は、なんとまぁ、関係者ご一同様の見え見えの作戦だろうかと思ってしまうことだろう。
手土産の一つや二つ・・・・。

ただ、裏の世界であり、高島君は何も知らないことかもしれない。知らないからこそ、怖いもの知
らずで、平気で御託を並べ、市が決定したとして強行してしまう。問題の沈静化を図るため、またまた、御用教授のキタジマシェンシェーに登場してもらうのであろうか、こども病院移転同様、それが、女性に優しい高島市長の実像なのだ。


 

[ 2013年7月11日 ]
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