アイコン 麻生太郎副総理/日本の銀行経営者は英語が喋れないと皮肉 米紙報道

米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは1日、麻生太郎副総理兼財務・金融相が先ごろ東京で行った講演で、日本の銀行経営者たちをこう皮肉ったと報じた。
 麻生副総理は「欧州系の銀行など多くの投資家がサブプライムローンという難解な金融商品に引っ掛かったが、日本の銀行は相対的にこうした金融商品に惑わされなかった」と説明した。

その上で、金融危機を乗り越えられたのは、日本の銀行が健全だったためではなく、銀行経営者たちが英語をほとんど理解できず、こうした商品に投資しなかったためだとする持論を述べた。
 麻生副総理は、銀行だけでなく日本企業の消極的な経営姿勢も批判した。同氏は、1990年代初めのバブル崩壊で低迷期に入って以降、日本の企業は利益の最大化ではなく、債務の最小化にばかり集中するようになったと指摘。「節約は必要だが、誰もリスクを甘受しない。日本でリスクを甘受しようとする挑戦的な実業家はもはや探せない。情熱的なエネルギーなくしては経済回復は困難だ」と述べたと報じている。
以上。

麻生太郎元首相が言いたい放題のようであり、麻生氏も海外メディアが海外で報じるということも念頭に置いた発言も必要だ、一国の元首相として・・・。また、内容もほとんど間違っている。
麻生財閥の今を見ると彼が言わんとするところが理解できる。
麻生財閥は、爺様時代、炭鉱王+政治が一体化し頂点に達させた。しかし、炭鉱は終焉を迎え、セメント事業へ展開、麻生セメント、それを販売する麻生商事を核にする一方、莫大な資産を元々作っていた学校の麻生塾を学校法人事業へ展開、また、炭鉱に付き物であった落盤の負傷者を治療する自社運営の病院事業を炭鉱閉山後独立させ拡大させた。
今や各種専門学校を中心に麻生学園を形成、病院事業も福岡筑豊地区№1の規模を誇る麻生飯塚病院となっている。
ここで目を見張るのは、麻生セメントの動きである。
セメント業界がバブル崩壊により合併を繰り返す中、名門麻生セメントは大手に比し弱小、完全に飲み込まれてしまう存在でしかなかった。
そこで、麻生太郎兄弟が、麻生セメントの生き残りをかけて考え出したのは、世界№1の仏のセメント会社ラファージュとの資本提携であった。会社名も麻生ラファージュセメントに変更して、親から受け継いだ麻生セメントの名を残した。韓国まで進出していたラファージュにしても、大市場の日本に橋頭堡を築くことに成功した。(ラファージュは日本市場を甘く見ていた。結果、昨年、本丸の欧州経済の悪化から株を5%残し撤退した)
平成13年当時、麻生セメントが外資と結託するなど、セメント業界の誰が察したであろうか、それほど、筑豊の田舎者でありながら、国際感覚を持っているのが麻生一族である。
太郎も泰(ユタカ、弟)も大学は留学している。太郎は息子も米国へ留学させている。
太郎は、口をゆがましての英語の発音が上手かどうかは別にして、留学していたことから英語に堪能であることだけは間違いない。
やはり、太郎が言うように、大都市の首長や大臣クラスの政治家、大企業のトップは英語くらい話すことができなければ、これからの世界には通用しないのだろう。
こうした考えは、炭鉱王ながら名誉が欲しかったのか政治家になった爺様、それを引き継いだ太郎の父親の多賀吉、吉田茂のスポンサーとなり、吉田茂を首相にし、自らの息子たちを留学させ国際感覚を養わせた。そこから変の親ばか政治家とは異なるところである。

しかし、太郎はガキをそのまま大人にしたお坊ちゃま体質、日本を任されるものではなかったのも事実。(調子に乗りすぎ、2期目の選挙では強固な地盤の筑豊で落選している) 世渡りは弟の泰が旨く、今では九州財界のトップに上り詰めている。

太郎=学習院大政経、スタンフォード大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスへ留学。父親麻生多賀吉の政治を引き継ぐ。

泰=慶大卒、イギリスのオックスフォード大学ニューカレッジ卒。父親麻生多賀吉の現業部門を引き継ぐ。

[ 2013年7月 3日 ]
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